「世界中を僕らの、涙でー埋め尽くしてー♪」
歌を口ずさみながらハンドルを握っているのは恭介だった。
助手席には僕。読みなれない地図と格闘している真っ最中だ。
後部座席にいる謙吾は与えられた仕事に余念がなく、その隣にいる真人は気が抜けたように外の景色を見ている。
現在位置と目的地へのルートを確認し終えた僕は、軽い溜息と共にフロントガラス越しの風景を眺めた。
山道だった。既に日は暮れて夜の帳が降りている。
左右を山に囲まれつつ、僕達四人を乗せた車は北上していく。
頭上を通り過ぎていく標識がこの地の名称を否応無しに宣言してくる。
現在地、東北自動車道の盛岡インター。……遠くまで来たものだ。
目指す青森県までは残すところ40キロ少々といったころか。
「……ところでさ、今から泊まれる場所ってあるのかな?」
僕の発言に返ってくる答えはない。
みんな理解しているんだろう。
ルールを破らずに無事帰宅するためには、泊まる場合に選択肢などないということを。
時刻は午後11時半。
サイコロの旅、二日目の夜はこうして始まった。
恭介とくんずほぐれつな夜を過ごした朝。
早朝のロビーに集合した僕達は、二日目朝のミーティングを始めたんだ。
ほぼ移動だけで終わらせてしまった初日。
それを反省し、今日からはもう少し具体的にサイコロの項目を決めようと言う流れになった。
そんなこんなで気分を新たにサイコロを振る僕。
サイコロの神様が選んだ運命は、僕が記載した項目が表記されている数字を選んでいた。
『レンタカーを借りて、ドライブがてらの旅行を!』
これは我ながら良い案なんじゃないかなって思ったんだ。
丸々一日電車移動をしてきてマンネリ化していたところだったし、行動範囲も広がる。
なにより時刻表とのにらめっこをしないで済むんだ。
今では恭介以外も免許を持っている、というのも重要だった。
どれだけ騒いでも周囲に迷惑をかける事がない、僕達だけの密室となる車内。
こんなにまでこの旅を彩る案が他にあるだろうか! 凄いよ、僕。
みんなのテンションが高まっていく。
それはレンタカーを借りた瞬間に最高潮となった。最初に向かう先が決まったからだ。
『日光江戸村へ! ニャンまげに飛びつこう!』
僕達を乗せた車が走り出す。
長い、長い道程を。
でも、この時にはまだ気が付いていなかったんだ。
……行動範囲が広がる、ということの真の意味を。
「凄ぇ。マジで凄ぇぜ、ニャンまげの奴……」
真人が感嘆の声をあげた。
視線は目の前の人物(?)であるニャンまげへと固定されている。
テーマパークの愛らしいキャラクターであるニャンまげ。
テレビのCMを元に想像していたのは、子供達が嬉しそうに群がっているほのぼのとした光景だった。
百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだ。
実際に見ることになった彼からは、あくなき力強さと冒険心が溢れていた。
今、僕達の相手をしてくれているニャンまげは、恭介を背負い、謙吾を右腕で抱えあげ、僕を肩車していた。
この三人を同時に相手している事自体驚きだったが、こともあろうか彼はその上で真人に左腕を差し出したんだ。
「お前、まさか……その状態で俺まで抱き上げてくれるのかよ……っ!?」
それは無謀なのかもしれない。
でも、着ぐるみの顔部分に備え付けられたつぶらな瞳から感じるのは、絶対の自信だった。
物言わない無機質な瞳。
それが確かに語りかけていた。
お前も飛びつけよ。大丈夫さ、俺は負けない、と。
そう、彼はサムライだったんだっ!
「うおぉぉっ! ニャンまげぇーっ!」
真人の絶叫が江戸の町に響き渡った。
感動と勇気、信頼と筋肉を乗せた真人が、白い猫武士の元へと飛び込んで行った……。
……そして全員転倒。
駆け付けたスタッフの人達にしこたま怒られました。
「んだよ、あいつが来いっていったんじゃねえか。無茶苦茶怒られたぜ?」
「阿呆。あの時お前に向けられた左腕は『お前も来いよ』ではなく『もう無理来ないで』というジェスチャーだ」
「嘘だろっ!? あのサムライが情けない事言うはずねえよっ!」
「……俺にはお前がニャンまげをそこまで信頼していることが信じられないのだが」
謙吾が呆れ口調で真人を諭していた。
ごめんなさい。僕もニャンまげを信頼してました。反省してます。
あいつの筋肉は伊達じゃなかったはずだ、とニャンまげの弁護をしている真人。
そういえば恭介は? と疑問を感じるのと同時に、何かのショップから出てくる恭介の姿を見つけた。
「なんの店だったの恭介? 江戸の町っぽくてぱっと見だけじゃわからないよねここ……って恭介!?」
「いいから来いよ理樹! 一生ものの思い出になるぜ!」
それは有無を言わさない行動だった。
恭介は僕の腕をとり、今しがた出てきた店へと僕を連行していく。
店内に足を踏み入れると、周囲には……!? ええっ!?
数十分後。
僕の隣には浪人の衣装を纏った恭介がいた。
その姿は不自然なまでに似合ってる。飄々とした雰囲気と着流しが独特の人相を生み出していた。
流し目気味な眼差しは、どことなく遊び人を連想させて。
それでいて優しい笑顔は恭介のままだった。
「では参りましょうか。理樹姫」
「ううう……」
そこまで楽しそうな顔をすることないじゃないか。
俯き加減のままな僕を先導し、恭介は謙吾達の名前を呼んだ。
「どこへ行っていたんだ恭介、探した……ぞ……」
「なあ恭介。お前も感じたよな、ニャンまげの中に息づいていた筋肉の存在……を……」
絶句、なのだろう。
僕の姿をその目に入れた二人は、きっとどう反応していいのか分からず、気まずい空気を、
「姫っ! そなたの一生は某がお守り申す!」
いやいやいや! 謙吾、顔近い顔近い!
「どうだお前ら。これはどこに出しても恥ずかしくない姫だろ?」
「恭介……お前」
「ん? なんだよ真人」
「ナンパ、か?」
「僕だよ真人! 僕!」
「えっ!? マジかよっ。……お前、ホントに理樹、なのか?」
「そうだよ!」
「嘘、だって、え。お姫様じゃん」
「お姫様の格好をさせられた僕だよっ!」
そう。今の僕はお姫様だった。
恭介に連れて行かれた店は時代劇の衣装を着て写真を撮ってもらえる所だった。
そこで着替えさせられた後、恭介は係りの人に頼み込んで店の外へと僕を連れ出したんだ。
「理樹。なんだかよくわからないけど……お前って凄いな」
「どうゆう意味でっ!? ねえ、どういう意味でっ!」
「その照れ具合が凄え」
「よくわからないよっ!」
いつの間にか真人の手には謙吾が持っていたはずのビデオカメラが握られていた。
僕の周囲をぐるぐる回っている真人。それが何を意味しているのか考えたくもない。
「では、尋常に勝負だな」
「ああいいぜ。今の俺は姫を守る流れの浪人だ。理樹を勝ち取るためなら逆刃刀も裏返すさ」
「問題ない。どちらが理樹を守るのに相応しいか、剣で証明して見せよう!」
「かかってこい! 謙吾っ!」
「うおおっ! 恭介ぇぇっ!」
あっちはあっちで何か始めてるし!
恭介! いつの間に流浪人設定になったのさ! ここ江戸! 随分時代が違うよ!?
それに謙吾! それ剣じゃないよ! 今謙吾が華麗に構えてるそれちょんまげだよ! どこで拾ったのさっ!?
「ありゃ。データの残り容量がガンガン減ってねこれ?」
真人も! こんなことで折角の記録媒体を埋めつくさないでよっ!
ふと見回せば人垣が僕達を囲っている。
これ、絶対アトラクションだと思われてるよね……。
「いやー。楽しかったな理樹」
「楽しかったけどさ……。僕達もいい歳なのに……」
満面の笑顔を見せる恭介に、僕は疲れた声を返した。
いくつになっても、僕達は僕達、なのだろうか。
それは嬉しくもあり、情けなくもあり。
でも、やっぱり安心できるというのが素直な感想でもあったり。
今は17:30。
閉園ギリギリまで遊びきった僕らは駐車場に戻ってきていた。
今日は目一杯遊べた。サイコロの旅withレンタカーの旅。これは大成功だったのかもしれない。
後は今夜の宿を決めるだけなんだけど、ここもやっぱりサイコロなんだよね?
薄暗くなってきた駐車場。レンタカーを背にした僕達は淀みない動作で毎回恒例の取り決めを行う。
楽しかったから。こんなやりとりが幸せだったから。
だから気が抜けていたんだろう。
「何が出るかなー、何が出るかなー……と。ん、五か」
五番。それは近場の旅館を探して宿泊、といった当たり触りない内容だった。
「じゃあ車に乗って探そうか。真人、荷物からこの辺の地図だけだしてくれるかな」
「いいぜ。えーと、これか」
僕達が借りたレンタカーにはカーナビが無い。
自分たちで道を調べることで、敢えて旅を楽しもうという魂胆だった。
だから地図も複数用意していた。
日本全体を網羅している大型の地図と地方ごとに詳細が書かれた道路図を。
真人は荷物の中から一つの地図を取り出し、パラパラとページを捲り出した。
その時だ。
謙吾が声を出したのは。
「なぁ、聞いていいか?」
その声を聞いて、謙吾以外の三人が動きを止める。
「そのサイコロ……真ん中の点って……小さなゴミなんじゃないか?」
言われてみればそのとおりだ。
五を示していたと思っていた絵柄は、実際のところは四を出していた。
そうか、本当は四番だったのか。
「四番ってなんだっけ?」
「えーと、ああ。面白いなこれ。運任せってか」
僕の疑問に答えた恭介は、四番の項目を読みながら僕に教えてくれた。
『広げた地図で最初に目に止まった場所へ泊まろう。江戸村近くかな? それとも繁華街かな?』
地図地図、と。
真人が持ってるんだよね確か。
「真人、その地図……真人?」
真人の動きが止まっている。硬直、と言うべきか。
「これ、どうすりゃいいんだ……?」
真人が手にしていたのは、とある地方用の地図だった。
何気なしに捲っていた地域が目の前に広がっている。
どこかの地区が拡大されているみたいだけれど、……平川市?
「ねえ、平川市ってどのへんかな?」
「栃木だろここ。日光だから……ん。ん?」
僕と恭介は真人の広げている地図に顔を寄せた。
どうも見慣れない地理だ。
「……わりい。『地図』で『最初に目が止まった』のはここだった」
真人の、萎れた声。
ゆっくりと地図の表紙を僕達に見せてくる。
題字はとても大きく書かれていた。
──東北地方:道路マップ──
宿泊予定地。青森県平川市。
日光江戸村、栃木県日光市からの距離。
500キロ以上。
絶叫と悲鳴の違いってなんなんだろう。
天高く轟いた叫びを聞きながら、僕はそんな事を考えていた。