「あー、あまりにも心地良過ぎる朝を迎えた俺達の姿がこれだ」

 

 三日目、早朝。

 朝靄が視界から景色を奪い去っている、山間にあるサービスエリア。

 冬ではないのに息が白い冷え込みと、僕達以外は数台しか停車していない駐車場の閑散具合が、じんわりと染み込んでくる。

 主に僕達の心と体に。

 

 今さっきの言葉は謙吾のものだった。

 旅の行程を余すことなく収録しているビデオカメラ。

 体格からすればやけに小さく感じるその機械を片手に、謙吾は僕達を撮影していた。

 車の前に整列しているのは、恭介と真人、そして僕。全員が全員共、死んだ魚のような目をしている。

 

「やってきたぜ、青森県平川市。いやっほー。テンション上がりまくりだぜー」

 

 と、カメラに状況を説明しているのは恭介だ。どこまでも平坦な口調で、その顔には表情すらなかった。

 隣にいる真人にしてみれば、口が半開きで目に見えない何かが吐き出されているようで。

 カメラを構えている謙吾に至っては、髪の毛の天辺が真っ平らになっている。超絶な寝ぐせだった。

 かく言う僕も、きっと全身から気だるさを発散しているんだろう。

 サイコロの旅、三日目。猶予期間も僅かになってきた旅の後半は、言葉にならない倦怠感から始まった。

リトルバスターズサイコロの旅・幼馴染野郎編:後編

 ここまで寝苦しいものだとは思ってもみなかった。

 

 昨夜、といっても数時間前のこと。

 栃木の日光を出発した僕達は、サイコロの神様が示した場所である、ここ、青森県平川市に到着した。

 夜中の一時に。

 もう限界だ、と最初に口に出したのは誰だったんだろう。

 運転をしていた恭介だったか、ある意味責任を感じていた真人だったのか、それとも僕だったか。

 いずれにせよ、そんな僕達の目に飛び込んできたのは、休憩の意を表す道路標識だった。

 東北自動車道を北上し、体力の限界と真っ向勝負をしていた僕達は、満場一致で左折ウインカーを表示した。

 津軽サービスエリア。

 文字通り流れるように駐車場へと入っていった僕達にとって、そこはオアシスとなる場所……になるはずだったんだけれど。

 

「長距離を走った後での車中仮眠が、こんなにも体力回復に向かないなんてな……初めて知ったぜ」

 

 謙吾の向けているカメラに対して、視線の定まっていない恭介が語っている。

 そう、信じられないほど寝苦しかったんだ。

 ここで少し仮眠でも、と、エンジンを切った車内で目を閉じていると、すぐに車内は湿気天国になった。

 これは体格のいい人間が多かった所為なのか、ぱらぱらと雨が降り出したことが原因だったのか。

 我慢できなくなった恭介がエアコンを入れてみると、こんどはやけに冷えてきた。というか寒かった。

 温度調節をしてもその寒さは緩和されず、毛布などの用意がなかった僕達はエアコンの使用をも断念せざるを得なかった。

 ならば外気を! と、謙吾が窓を少しだけ開ける。

 雨が車内に降り込んでこないよう、かつ、空気が循環出来るように、絶妙なさじ加減での調節を行った。

 これで、眠れる……、なんて安心したんだけれど、

 

「なんでこの時期にあんな沢山虫がいるんだよ……」

 

 今、真人が口にしたように、最後の敵は虫だった。

 

「いや、あいつらは虫なんかじゃねぇ。害虫だ……」

 

 小さい羽虫、大きい藪蚊。知らない虫に、知りたくもなかった虫。

 湿気に誘われたのか、雨からの退避だったのか、男臭に群がってきたのか。

 とにかくぶんぶんと僕達の仮眠を邪魔してくれたのだ。

 逃げる虫は敵意を持った虫だ! 逃げねえ虫は訓練された虫だ!

 そんなことを叫びながら飛び交う虫と闘っていた真人の姿が記憶に鮮明だった。

 むしろその闘い自体が安眠妨害だった。

 

 ともあれ。

 そんなこんなで朝を迎えた僕達の体調は最悪の状態だった。

 どのくらいやばい表情なのかというと、はたして今の僕達の姿をカメラに収めてもいいのかどうかというレベルだ。

 放送禁止寸前な気がする。

 こんなことで残りの旅路を乗り越えられるのかどうか。不安という感情が朝日に照らされているようだった。

 と、僕が弱気になった時だ。

 

「理樹! あれ見てみろよっ!」

 

 恭介の言葉が僕の意識を浮上させた。

 

「あの看板、あの看板って」

「……看板……?」

 

 斜め上方に向けられている指先を追う様に、僕は視線を上げて、

 

「……っ!?」

 

 この目に飛び込んできたのは……四角くて、緑みがかかっていて、清涼な色合いのあれは……っ!?

 

「ファ……ファミマ! ファミマだよみんなっ!」

 

 ファミリーマートが、コンビニエンスストアの看板が、薄暗い世界の中で煌々と輝いていた!

 

「まじかよ……こんなところにまであるっていうのかよっ!?」

 

 真人が驚嘆と感動を綯い交ぜにした声を上げる。

 

「全国チェーン、か。流石だな。この出会いに、これ以上の言葉はない……っ」

 

 謙吾は天を仰ぎ見て、両目を閉じている。零れるのは一滴の涙だ。

 

「これで、俺達はっ」

「うんっ! 僕達は、リトルバスターズは、まだまだ闘えるよっ!」

「そうだぜっ。俺達は」

「リトルバスターズは不滅だっ!」

 

 恭介、僕、真人、謙吾。全員が順番に、でも打ち合わせなんてすることもなく、ひとつの意志にまとまろうとしていた。

 同じタイミングで駆け出した。

 ファミリーマートに向かって。今日から繋がる明日へ向かって。

 具体的にはファミチキやからあげ串に向かって!

 ありがとうファミマ。ありがとう東北自動車道。

 そしてありがとう、世界の全てに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ恭介、俺にはあのファミマが反対車線のサービスエリアにあるように見えるんだけどよ……」

「……ま、まあ。その、なんだ……理樹?」

「っ! 行くよ、みんな!」

「待て理樹! そこから先は人が進んでいいところではっ!」

「離してよ謙吾っ! 僕はファミマに行くんだっ!」

「落ち着け! くっそ、どこにこんな力が……っ!」

「だってファミマだよっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかすごく疲れた。

 

 結局僕達はサービスエリア備え付けのイートインでもそもそと朝食をとり、車の前に集合していた。

 ……ファミマ……。

 

「んじゃあ次の目的地の記入だけどよ……」

 

 車からホワイトボードを取り出した恭介。

 サイコロで決める項目を記入するという流れのはずなのに、恭介は僕達の顔を見渡して、くっと息を呑んだ。

 

「もう、いいよな?」

「え?」

 

 弱気とも受け取れる恭介の発言に、反射的な疑問を返してしまう。

 

「俺達、随分と頑張ったよな? ……だから、もう、いいさ。今から記入する目的地候補は、全部帰る方針な場所でいこうぜ」

「帰る?」

 

 真人が繰り返し問いかけた。

 

「ああ。だから俺はこう書くさ」

 

 きゅっきゅっ。ペンの走る音がやけに大きく聞こえた気がした。

 一の目と二の目部分の候補には、恭介の字で、とても弱々しく、後ろ向きな言葉が書かれていた。

 

「……」

 

 恭介からホワイトボードを渡された真人は、少しだけ俯いた後、やがてペンのキャップを外した。

 三の目の候補にはレンタカーを返しに行くという内容が書かれた。

 

「仕方がない、のか……くっ」

 

 続いて受け取った謙吾がホワイトボードへと候補地を書き込む。

 やはり書かれたのは帰路に関する方針だった。

 そして最後に僕の手へと回ってきた。空いているのは六の目の候補だけ。

 ここに僕も安全な目的地を書けば、例えどんなサイコロの目が出たとしても、僕達は旅を終えることになるんだろう。

 賽の目が何を選んだとしても。

 みんなに目を向ける。誰もが納得してないようで、悔しそうで。

 でも仕方がないんだ。

 今日は既に三日目。レンタカーを返すことも考えれば、残すところは後一日半しかない。

 しかも現在位置は東北だ。高速の下り車線だ。

 だったら仕方がないじゃないか。

 もう、どうすることも……。

 

「……でも」

 

 だとしても。

 

「だからこそ……っ。僕はこう書くんだっ!」

 

 迷わず、一息に。最後の候補地部分に力強く文章を記入する。

 そして胸の前でみんなに見せた。

 宣言するように。踏み止まるように。

 

「……理樹、お前本気かよ?」

「書き直そうぜ理樹。そこまで行く時間なんて……」

 

 聞こえてくるのは諦観の声。諭しの言葉。

 それらをかき消すのは旅の理由だっ。

 

「そんなことで思い出になるのっ!? 最後に諦めて、すごすごと帰って……それが僕達のミッションでいいのっ!?」

「……理樹?」

「この旅の目的は何さ! そうだよ『僕達が僕達でいられる最後のミッション』それを楽しむことだったんじゃないのっ!?」

「最後の……」

「こんなことじゃ恭介を笑って見送ることなんて出来ないよ!」

 

 恭介の為に。

 近い将来、僕達とは違う世界へと行ってしまう恭介への送り土産として。

 

「だから集まったんじゃないか、だからビデオ撮影までしたんじゃないかっ」

 

 だから、全力で立ち向かうんだっ。

 

「最後のミッションなんだよ? サイコロを振って確率六分の一程度の壁なんて、そんなの敵でもなんでもないよ」

「……ああ」

「もしも六の目が出たとしても、僕たちなら乗り越えて行けるよっ!」

「ああっ!」

 

 真人が、謙吾が。僕の言葉に賛同してくれる。彼ららしい瞳の輝きを伴って。

 そして恭介は……笑っていた。

 苦笑いで。とても嬉しそうに。

 

「最高だ、親友」

「……恭介」

「六が出たら北海道上陸? いいじゃねえか。六分の一の確率なんだ、それぐらいのリスクがあった方がサイコロの旅だぜ!」

「恭介っ!」

「ああ! 逆に他の目は全部安全なんだ。余裕過ぎるぐらいだなっ!」

 

 そう。だから。リスクがあるから。

 サイコロを振る価値があるんだ!

 

「俺達は帰る! サイコロに従って! アホな目があったって構わない。だからこそサイコロを振るんだっ!」

 

 僕達全員の声が団結する。

 恭介が大空に向かってサイコロを投げた。

 僕にはわかる。きっと恭介は六なんて出さないんだ。僕が用意した困難なんて、片足で蹴り飛ばしてしまうんだ。

 でも、そんなリスク目があるからこそ笑い話になるんだ。

 思い返して笑みの零れる思い出になるんだ……っ。

 

「理樹っ!」

 

 恭介が僕の名前を呼んだ。

 サイコロがゆっくりと落ちてくる。

 

「……ありがとなっ!」

 

 感謝なんていらないんだ。だって僕達なんだからっ。

 コンクリートに落ちたサイコロが、二転三転と出目を変えていく。

 さあ、みんなで歌おう! 一緒に、楽しんでっ!

 

 

 ……なにがでるかなっ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもってそのままほっかいどーに行くって、お前らホントに馬鹿だな」

「鈴も一緒に来たかった?」

「行くかぼけぇっ」

 

 プロジェクターの映像は、テンションが一回りして無駄に元気になっている車内の僕達を映していた。

 ちなみに映像内の車は北上中。目指せ北海道行ってやるぜ、といった状況だった。

 編集し、ナレーションとして吹き込まれた僕の声が、恭介のサイコロ運の無さを語っている。

 

「でも見ろよ鈴。会場内は爆笑の渦だぜっ」

「あたしは肉親として恥ずかしいんじゃっ!」

 

 真人と鈴がじゃれ合いを始めた。でも確かに大成功だった。場内の人々は楽しみながら映像を観ている。

 恭介の披露宴で上映している、幼馴染サイコロの旅を。

 新婦は新郎である恭介の隣で、どこまでも馬鹿なんだから、といった呆れと慈しみの視線を向けている。

 テーブル席に座っている級友たちは、それでこそ恭介だ、と笑っている。

 そして僕達も、やっぱり笑顔だった。

 

 結婚生活という僕達とは違う世界へと飛び立つ恭介。

 僕達幼馴染から彼へと送る、僕達ならではの贈り物。それがあの旅行だった。

 色々あって。色々起こって。

 笑って。悩んで。苦労して。やり遂げて。

 ありのままな恭介の姿が30分程度の映像になって映し出されていた。

 

「いくつになっても馬鹿だな。お前達は」

 

 そんな軽口を叩く鈴にも笑顔が溢れてて。

 

「嫁さんだって恭介の性格は熟知してるのだからな。問題ないだろう」

 

 謙吾は新婦へと視線を向けて。

 

「まーな。そもそも俺達だって知らない仲じゃないんだしな」

 

 真人は学生時代からの知人である新婦へ……は目を向けず、目の前にある料理に手を伸ばして。

 

「それにさ。一番楽しんでたのは……」

 

 僕は新郎席へと目を向ける。着飾った恭介へと。

 隣に座る新婦と会話を交わしていた恭介は、僕の視線に気がついたのか、にかっと満面の笑顔を返してきた。

 会場内の誰よりも、映像に映っている本人よりも。誰にも負けない今日一番の笑顔だった。

 

 映像は運転している恭介から離れ、フロントガラス前方を映し出していた。

 真っ直ぐと続いていく道。

 景色が流れていき、映像は、僕達は、どこまでも前へと進んでいく。

 スピーカーから四人の声が聞こえてきた。

 リトルバスターズ、最高っ! と。

 画面には映っていないが、僕達は確かにそこにいたんだ。

 声は大声で。どうにでもなれというべきテンションで。でも、心底楽しそうに。

 

 聞こえてきた声に合わせて、僕達四人は薄暗い会場内で、全員揃ってサムズアップ。

 

 

 これでもかというほど、僕達は僕達だった。

 

 

 

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