風が違った。

 確かに町並みは僕達が住んでいるところとは違う。近代的なのにどこか古めかしさも含んでいる、という感じだ。

 それでいて寂れているわけでもない。

 胸には『古き良き趣』としか表現できない感傷が自然と湧きあがってきた。

 山を背にした古都。

 遥か過去。興亡を迎えてきたこの町はその歴史を内包しながらも力強く栄えてきたんだ。

 そんな思いを巡らせているとどこからか潮の匂いが漂ってきた。

 背後には山、そして正面には大海原。きっとこの香りは相模湾から運ばれてきたものなのだろう。

 微かに記憶していた地理の授業の内容を思い出し、この町の立地模様を頭の中に描いた。

 ……先生が小話として言っていた。釜上げしらすが美味しいんだぞ、と。

 あの人の言葉がその時の記憶と共に再生される。

 それは、とても懐かしくて。

 人知れず微笑みが零れる。

 うん、折角だから海岸沿いにでも行ってみようかな。

 そうしよう。

 思い立った僕はみんなにそう提案しようと背後を振り返り、

 

「……るかなっ? 何が出るかなっ? ってまじかよーっ!」

 

 叫び声を上げる恭介を視野に入れてしまった。

 恭介の視線は地面にあるサイコロを模したキャラメルの箱に釘付けだ。

 その隣では小型のホワイトボードを手にした謙吾が同じようにサイコロを見ている。

 真人に至っては自分の髪を鷲掴みにして雄叫びを上げている。抜けるから。ホントに髪が抜けるってば真人!

 

「恭介……よりにもよってそれを出すのか貴様は……」

 

 サイコロの目を凝視していた謙吾が力なく呟いた。

 目の数は、六。

 つい自分の眼を擦ってしまう。いやいやいや。……六? いやいやいや。

 そんなことありえないでしょ。見間違いに決まってるんだ。

 

「……謙吾、僕疲れてるのかな? そこに転がってるサイコロ、黒い点が六つあるように見えるんだけど」

「知ってるさ、お前が疲れてるんだってことぐらい。いや、それを言うなら俺達全員が、だ」

 

 ああ、やっぱりそうか。

 だからサイコロの目を誤認しちゃったんだよね。あー良かった。ホント良かった。

 

「だが現実は非情だ。さ、出発するぞ」

「嘘だよっ! だって鎌倉まで来たんだよ!? こんな遠くまで! それなのに到着後即出発ってなんなのさっ!」

「知るかっ。文句は恭介の奴に言え! サイコロを振った本人になっ!」

 

 再度恭介へと視線を向ける。

 文句の一つでも言おうかと思ったけど、その彼の姿はあまりに不憫で……。

 

『俺さ、鎌倉に着いたら和菓子の老舗に行ってみたいんだよ。すっげえ昔に一度だけ食べたあの味がさ……その、』

 

 なんか懐かしく思えて、と。

 それはほんの数十分前に電車の中で語られたちょっとした本音。

 恭介は楽しみにしていたんだ。この町での滞在を。

 あの時恭介が見せたのは、はにかむような笑顔。今彼が浮かべているのは、茫然自失な絶望。

 確かにルール絶対厳守が根本の誓いだけど。

 決めた本人が一番ダメージを受けているっていうのは、律儀というか自業自得というか。

 僕は改めて謙吾が持つボードに目を向け、六の項目を示した文字を黙読した。

 何か別の解釈はできないものかと。

 それはもう、はっきりと書かれていた。抗議の余地が無いほどに。

 

『駅到着後、即切符を買い直す。目的地は東武伊勢崎線:東武動物公園駅』

 

 こんにちは鎌倉。さようなら鎌倉。

 滞在時間約五分のいいくにつくろう鎌倉幕府。

 僕達は目的地への路線を聞く為に緑の窓口へと足を進めた。

リトルバスターズサイコロの旅・幼馴染野郎編:前編

「俺が思うにあれだよ。掛け声が足りなかったんだよ」

 

 恭介がなんか言ってる。

 僕達三人は恭介の言葉に相槌を打つこともせず、黙々と駅弁を口に運んでいた。

 名物だって売店のおばちゃんに勧められた鯵の押寿司は美味しいなぁ。鎌倉堪能だね。切ないことに。

 

「俺一人が言ってたんじゃサイコロの神様もへそを曲げちまうのさ。次は全員で盛り上げようぜ!」

 

 既に窓から見える景色からは古都の面影を感じる事もない。

 普通な町並み。

 丁度どこかの駅を通過したので、目を凝らし駅名を読み取ろうと試みる。

 若干速度を緩めているのだろうけど、言葉通り流れて消えていく窓の外を識別するには多少の努力が必要だった。

 なんとか読み取った駅名を反芻しつつ、僕達が陣取っているボックス席から顔を覗かせる。

 ドアの上にある路線図で現在地を判断しようと思ったからだ。

 

「『何が出るかなっ!?』ってさ! そうすれば今度こそこの旅はかけがえのない思い出に変るんだ!」

 

 遠くの路線図と格闘していると謙吾が小さく折られた紙を差し出してきた。

 両手で受け取り広げてみると、それはポケットサイズの路線図だった。

 謙吾にお礼を言って次の目的地を探す。……程よく遠いなぁ。

 このまま都心を抜けて更に北へ。乗り換えて乗り換えて……何県になるんだろうここ。

 

「……えー、心底反省してます。ですからそろそろ許してください」

 

 あ、恭介が折れた。

 

「別に怒ってなんかないぞ? 俺は人生の不条理と語り合ってただけだ」

「俺も怒ってねえよ。鎌倉最高だぜ鎌倉。特に押寿司。ってか押寿司が。正に鎌倉だよな」

「僕だって同じだよ恭介。うん、恭介は頑張ったよ。ホントオイシイよね、恭介って」

「そんな意味でオイシクっても嬉しくねえよ! 俺にも押寿司くれよっ!」

「ほらよ」

 

 そう言って真人がプラスチックの草を恭介に渡した。

 

「そうそう。このバランの緑色が食欲をそそるよな! ……って食えねえよ!」

 

 精一杯なノリつっこみだった。

 必死な恭介がなんだかとっても新鮮だ。

 

「冗談だ。真人、恭介の分の弁当を渡してやれ」

「俺の分!? 買ってくれてたのかお前ら!? ……ありがとうな、マジありがとうな……」

「それはそうだよ。だって僕達は仲間でしょ、恭介?」

「理樹……そうか、そうだよな! ははっ、俺だけ昼飯抜きだなんて、そんなことあるはずないもんなっ」

「待たせたな、ほらよ」

 

 真人が荷物の中から弁当を取り出し恭介へと手渡した。

 それは僕達が食べていたのと同じ鯵の押し寿司。

 

「ここで空の弁当箱を渡してたら流石に鬼だよなぁ」

 

 自重したぜと誇らしげに語る真人だった。

 

 

 

 

 

 僕達は旅をしている。

 三泊四日、幼馴染の四人での行き当たりばったりな旅だ。

 旅の道連れは小さなサイコロ。

 目的地に到着する度にそれを転がして行動や次の目的地を決めている。

 毎回各々が六つの条件を提案し、それをホワイトボードに書き込むんだ。

 そしてサイコロが示した運命を享受する。強制的に。

 始まった旅は──目的が目的なだけに──段々酷い内容を書き込むようになってきた。

 全力で面白おかしく。

 笑顔と苦労と思い出が溢れる旅になるように、と。

 

 

 

 

 

「到着だ。ここは埼玉県の東武動物公園駅だ……です」

 

 やや引きつった笑顔で謙吾が地名を告げた。

 うん、謙吾には似合ってないのがまた面白い。

 

「来たぞ、再びこの瞬間が」

 

 真人の声で僕達の間に緊張が走る。

 全員が注目しているのは謙吾が持つホワイトボード。即ち運命の岐路でありその末路でもある指示表だ。

 一番から四番までは問題ないと思う。それぞれ詳細は違っていても無茶な要求が書かれてはいないのだから。

 問題は……五番からだ。

 

『即Uターン。鎌倉へGO! 今度はバスで』

 

 ふざけんな。

 鎌倉に心残りはあるけれど即行帰りなんて冗談じゃない。時間を返せと言い返したくなる内容だ。

 誰がこんな案を書き込んだんだろう。

 ちなみに行先については誰が書いたのか判らないようにしている。

 それぞれ数枚の紙に文章を書いてランダムに引き当ててる。

 みんな思い思いに筆跡を崩しているから、誰の内容なのかは想像で判断するしかない。

 初日からの解析から察するに、恭介はまともな内容が八割、勘弁してな内容が二割くらい。

 謙吾はやや無理めに思えるけど堅実な要求が大部分を占めていて、真人は予測不能。

 なら今回のこれは……誰だ?

 無茶だけど確かにこれを引いたらオイシイ。恭介? 謙吾?

 

「五番……きついな」

「いや六番も信じがたいぞ。なんなんだこの流れは」

 

 恭介と謙吾が牽制し合ってる。どこまでが演技なんだ?

 そんな思いに駆られつつ、六番の項目に目を向けた。

 ……。

 あははははははははは。

 

『今度は西だ! 古都リベンジ、宮崎県の飫肥城を目指せ! 大丈夫。新幹線OKだぜ』

 

 そんなリベンジ欲しくもない。

 1500キロくらい? と書かれた小さな吹き出しが僕のつっこみを待っている。

 知らないよ距離なんて! そもそも飫肥城ってどう読むのさ!

 もしもこれが当たったら飫肥城マニアになってやるからね。絶対誰にも止めさせない。

 

「じゃあ、やる……ぞ?」

 

 今度は謙吾がサイコロを振る番だ。

 五、六以外。五、六以外。

 真剣に念じる僕。ふと横を見ると真人も緊迫感溢れる表情をしていた。同志発見だ。

 

「な、なにがでるかな~。なにがでるか……な~……」

 

 それでも恭介の提案した台詞を口ずさむあたり、真人からは悲観と哀愁が感じられる。

 勢いで書いてはみたものの落ち着いたところで後悔の嵐だぜ、とでも言いかえられそうな。

 犯人発見。情状酌量の余地無し。言いがかり万歳。

 

「投げたっ!」

 

 そんな恭介の叫びと同時に謙吾の掛け声が耳に届いた。天に委ねられたサイコロに目が捕らわれる。

 マーンという謙吾の掛け声は、気合いが入りすぎたのだろうか、むぁーんという珍妙な響きだった。

 

 

 

 

 

 

 

「すっげぇ! すっげぇ首なげぇ! しかも何気に首の筋肉が侮れねえ……」

「虎! 白っ! すっげぇ白いぜあの虎っ!」

 

 真人と恭介がキリンやホワイトタイガーに魅了されていた。

 童心に還ったはしゃぎようだ。

 謙吾はというと、

 

「……むぅ」

 

 フタコブラクダとみつめあっていた。

 あのつぶらな瞳から何かを感じ取っているんだろうか?

 僕はベンチに座り、手にしたペットボトルを傾けた。ミネラルウォーターがするりと喉を降りていく。

 動物園に入ってから一時間。ようやく一息つくことができた。

 それにしても危なかった。無茶振りと勢いのサイコロ振りを思い出す度に恐怖と不安が蘇る。

 結局、サイコロが示したのは三番。

 

『今度こそ楽しもうよ! 動物園を満喫! そして今日は近場の宿で一泊!』

 

 天は僕に味方した。

 旅の初日くらい落ち着いて休みたいよね?

 

「やべぇ。キリンの奴、草ばっか食ってんのに筋肉質だったぜ」

 

 そんな感想と共に真人が僕の隣に腰を下ろす。

 シュッシュ、シュッシュ、と首を左右に振る怪しげな真人。

 本人はキリンを模してるみたいだけど……もしかして筋トレ? まさかね。

 

「ところで真人。充電は大丈夫?」

「おうっ、ふんっふんっ! それは気にすんなって、ふんっふんっ! 予備も問題なし、だっだっ!」

 

 真人は僕の疑問に答えつつキリンマッスル体操を続けていた。

 正直怖い。

 でもそっか。そっちの心配はしなくて大丈夫みたいだね。

 途中で使えなくなったりしたら本末転倒だから、不安といえば不安だったんだけど。

 

「じゃ、次はどこ見に行こうか? あっちにはペンギンとかアザラシもいるみたい……ってはぁ? はぁ? はぁ?」

「んだよ理樹。そんなに面白いのかそのペンギンは。三はぁだなんて、はぁ? はぁ? はぁ? はぁ?」

「まさしくホワイトの中のホワイト。気高き虎だぜ。似合うか?」

 

 僕達のところへ戻ってきた恭介はいつの間にか生まれ変わっていた。

 虎。

 というかとら。

 しかも白。

 白い虎耳バンドを被り、お尻の上あたりからは白い虎しっぽを生やして。

 似合いすぎていた。お誂え向きなまでに。

 ただ、その存在に関しては、言葉を紡げなかったけど。

 

 

 

 

 

 

 

「さて。チェックインする前に、だ」

「いや、かっこよく仕切る前に虎装備外そうよ」

 

 心底気に入ったのか。

 ホテルに到着したというのに恭介は虎耳しっぽを外していなかった。

 すれ違う子供達には大人気だったけど。

 

「こいつの登場ってわけだ」

「え?」

 

 恭介が取り出したのは例のサイコロ。

 えーと……? え?

 

「準備はOKだ」

「謙吾?」

 

 その言葉を待ってたとばかりに、謙吾がホワイトボードを僕達に向けた。

 そこには二種類の提案が。

 

『奇数:ダブルを二部屋。偶数:ツインを二部屋』

 

 意味分かんない。全然分かんない。

 ダブルとツイン。チェックインの方法だろうかこれは?

 その二つの単語は似ているようで全く違う。

 

「何が出るかなっ! 何が出るかなっ!」

「って真人!? 何で普通にサイコロ投げてるのさ! ちゃんと意味分かって……あああー」

 

 そんなこんなで初日の旅は幕を閉じていった。

 サイコロの旅、残り三日。

 

 

 

 

 慌てふためく僕を尻目に、真赤な一つ目がロビーの天井を見上げていた。

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