「ん~…… ホントにそれで良かったの? お姉ちゃんは?」
「良いも悪いも、私が自分で決めた事。 あの弱虫にはあれぐらい言っておかないとまた逃げ出すわよ」
「弱虫って…… お姉ちゃんって杏ちんには結構辛辣だよね?」
「あら、私にだってそれくらいの意見を口に出す権利ぐらいはあると思うけど?」
「やはは、そりゃごもっとも」
中々自分勝手な意見でもあったのだが、そんな佳奈多の主張に葉留佳は概ねの理解を示した。
病院の中庭、佳奈多は芝生の上に腰を下ろしている。
隣には律儀にも杏との会話が終わるまで外で待っていた葉留佳も一緒だった。
そう、佳奈多は告白をしには行かなかった。
いや、元々そのつもりがなかった、と言うべきなのだろうか?
杏を攻め立てた言葉の数々は、弱気を叱りつけたという結果でしかなかったのだが……
「葉留佳、知ってた? ……私だってね、結構本気だったのよ?」
内に秘めた乙女心は、そんなに簡単なものではなかったらしい。
「勿論知ってましたヨ! ……って、実はそうかな~ぐらいだったけどね」
「そう? でも葉留佳に気付かれてるぐらいじゃ私もまだまだね」
「うおいっ! 自分から話を振っておいてそれはないんじゃないかなぁ?」
……かもね、と優しい笑顔を浮かべる佳奈多。
実際、佳奈多は佳奈多で恭介の事を真剣に想っていた。
ただそれが恋愛感情だったのか憧憬だったのか、自分自身はっきりと言い切ることが出来なかったのも事実。
惹かれていた事に間違いはなかったのだが……
「うん、私は彼女が彼に向ける程の想いを……持っていなかった」
あの時、恭介が倒れた時。
佳奈多は冷静だった。
取り乱さなかった。
……取り乱せなかった。
「たしかに驚いたし焦りもした。 適切な行動も起こせたと思う。 ……でもね」
なにかを思い出すように。
視線をそっと、空へ向ける。
「『彼がいなくなるかもしれない』、なんて微塵も考えなかった。 怖がる事が出来る想いを……持っていなかったのよ」
幸か不幸か。
冷静だったから。
優秀だったから。
自分が持っていた恭介への想いの質に、気が付いてしまった。
それは何物にも代え難い、唯一の想いではなかったのだと。
「……だからお姉ちゃんは、杏ちんを叱りに行ったんだ」
葉留佳は姉に倣って空を見上げる。
自分が持ち得なかった想いを抱えながらも、その想いによって縫い付けられている杏。
そんな杏を見て、この姉はどんな感情を抱いたのか……
様々な想いが交差している中で姉が取った行動。
褒めればいいのかな?
それとも慰めるタイミングなのかも?
どうしよー、と声をかけるべきか考えあぐねていたのだが、
「正直嫉妬もあったし、純粋に励ましてあげようとも思った。 でもね、葉留佳……」
葉留佳のそんな悩みは、佳奈多が語った彼女の強さで……どこかへ、飛んでいってしまった。
「私は彼が好きなのは変わらないし、何より選ぶのは彼よ? もし、ここまでしたのにあの弱虫女がしり込みするのなら」
「……するなら?」
「今あるこの想いが育って、胸を張って伝えられるその時……」
そこには、大好きな姉の……それこそ見たこともないほど魅力的な笑顔が浮かんでいたから。
「必ず彼を、惚れさせてみせるわ」
空を見上げ続ける佳奈多。
彼女の眼差しの先にある青空は……
どこまでも、どこまでも青く澄んでいた。
「っ! 何してるのよ馬鹿っ!」
俯いて座り込んでいた杏の視界に、二組の足が映った。
無意識に顔を上げ視認、否定、再認、理解と、ここまで彼女の思考が辿り着いた瞬間、咄嗟に口から出た言葉は『馬鹿』だった。
「ははっ、そこは具合はどう?って見舞うタイミングだぜ杏。 相変わらずきっついなぁ」
「んなこと前から知ってただろ? ほら、座れるか恭介?」
「ん、サンキュー岡崎。 マジで助かったよ」
「気にすんなって」
「あんたも気にしなさいよ馬鹿っ!」
これでこの場に現れた二人は、晴れて共に馬鹿の認定を受ける事となった。
棗恭介と岡崎朋也。
否定は出来ない。 確かに馬鹿なことをしている。
なにしろ一人は先日開腹手術をしたばかりな現在進行形真っ只中である見事な病人。
もう一人はそんな病人の状況を理解しているはずの自称不良なお人好し。
そんな二人が目の前にいる。
そう、車椅子すら使わずに。
歩くどころか立つことすら……いや、座っている事すらままならない病人が……
友の肩を借り、一階のロビーにまで歩いて降りてきた。
「嘘っ、馬鹿っ、あれ? 傷口って開くんでしょっ!? 看護士さん! どこっ!?」
「「落ち着けって」」
「なんでそんなに落ち着いてんのよあんた達はっ!」
立ち上がりどうしたものかとうろたえる杏に反比例して、馬鹿男達はいたって普段通りだった。
「じゃな、オッサンのとこに戻ってるぜ」
「ああ、後でな」
しれっとその場を離れる朋也。
後ろから突き刺すような馬鹿呼ばわりが聞こえてきても、振り返る事もなく。
口元に、僅かな笑みを浮かべながら。
「ふうっ、流石にきつかった……こんなのは二度とごめんだな」
背もたれに身体を預けつつ、恭介はそんな言葉を吐き出した。
「二度どころか最初からするんじゃないわよ……」
多少は落ち着いたのか、杏は静かな声で言葉を放つ。
だが、言葉を発したのがいけなかったのか。
少しずつ、まるで思い出したのかのように、その両肩が震えだす。
「ほんっとに……っ、あんたは……っ!」
そして再び揺り動かされた感情は、耐えがたいうねりとなり彼女の内面を削り始める。
「あんな事があったのに……っ、なのに今だって……っ!」
「いつもいつも、心配させて……だろ?」
……引き金が引かれた。
よりにもよって、当の本人の手で。
「なんであんたがっ! 自分で! それを言うのよっ!?」
落ちた撃鉄は、留めていた感情を言葉にして弾き出す。
「わかっているなら……どうして、態々心配させるのよっ…… ねぇ、どうしてっ!?」
それでも涙は零さない。
次々と言葉をぶつけようとも。 叩き出そうとも。
零して、たまるか。
この馬鹿に、周りがどれだけあんたのことを想っているのか。 心配させているのか。
それを、伝えきるまではっ。
「だから言っただろう? もうこんなのは二度とごめんだって」
「だかっ、……え……? ぁ……」
手を掴んだ。
手を掴まれた。
その手を引いた。
その手を引かれた。
立っている彼女を引き寄せた。
座っている彼に引き寄せられた。
俺との視線が、同じ高さになった。
あたしは両膝を突いて、彼の目の前にいた。
そして俺は、
そしてあたしは、
強く、
強く、
その身体を、抱きしめた……
その身体に、抱きしめられた……