結局、あたしはロビーのベンチから動けないままだった。
二木佳奈多が挑発してきても。
あいつに想いを伝えに向かうと宣言されても。
「だって……仕方ないじゃないっ! どんな顔して会いに行けってのよっ!」
自虐的な言葉を口にする。
誰の耳にも届きはしないのに。
たしかにあたしはあいつが好き。
その気持ちは譲れない。
でも、だからと言って……
「もう、どこにも行けないよ……」
あいつに会いたい。
でも、自分に自信が持てない。
好きだと伝えてしまいたい。
でも、拒絶されるのが怖い。
他の娘の告白なんて邪魔してしまいたい。
でも、あたしにはそんな権利なんてない。
踏み込みたい。 だからこそ怖い。
逃げ出したい。 そんなことしたくない。
今、様々な感情があたしの心をかき乱していた。
そんな心の袋小路。
それをあっけなく壊してくれたのは、やっぱりあいつだった。
あの……馬鹿だった。
杏が病院に来ている。 来てくれている。
なのにあいつは俺の病室に顔を出さず、朝からずっと座り込んで、いる……?
「そっか、やっぱり結構ショックだったのかもな。 杏のやつ」
岡崎がポツリと呟く。
「ショック? 杏が? ……それって古河さんが言ってたように俺が馬鹿だったからか?」
「……んー」
俺が疑問を口に出しても、岡崎は言いにくそうに視線を彷徨わせる。
言って良いのか、言うべきではないのか。
そんな逡巡が見て取れた。
「そう、だな。 ……棗、伝えておくよ。 あの時の様子を。 多分、知っておかなきゃいけないのかもしれないしな」
そして、俺は初めて知った。
俺が倒れた時の状況を。
あいつの狼狽を。
見境がなくなるほどの、想いのたけを。
どれだけ心配させたのかと言う事を。
杏の、叫びを。
「馬鹿ばっかだな……」
一通りの話を聞き終わった後、一緒に聞いていた古河さんが片手で頭を掻きながら溜息をついた。
心底呆れているような、それでいて優しく見守るように。
「あの嬢ちゃん、煮詰まっちまってんだろうな。 ったく」
俺が、心配をかけたから。
……それだけじゃない。
様々な事を中途半端にしていることも一役買っていることは間違いなさそうだった。
今更ながら思う。
つかず離れず、程よい関係。
それはたしかに居心地が良いのかもしれない。
でも、だからこそ。 身動きが取れなくなることもあるんじゃないのか、と。
「安心、させる……か」
俺は古河さんから教わった──今更ながら気が付いた──言葉を口に出し、想いを巡らせる。
誰かのために行動する事。
自分のために動く事。
相手を見て、安心できる事。
安心させる、自分でいる事。
それらは全て別方向へ向かうベクトルだ。
どれか一つが正しい、何かが間違っていると言うわけじゃない。
全てが必要とされる。
重複する事もある。
あえて選ばないこともある。
大切なのは……
それぞれが持つ意味を忘れない事。
知った上で、選択するという事。
だから、俺は。
「……本気か? 棗?」
今、知りえる事を理解した上で岡崎に頼み込む。
「ああ、無茶言ってるのは知っている。 お前達がどんな反応をするのかも理解している」
以前の俺でも、同じ事を言っていた可能性はある。
「俺やオッサンが、素直に認めると思うのか?」
だがそれは、その時だったらただの思い付きだったはずだ。
想いを理解せず、ただ闇雲に進んでいたはずだ。
「認めさせる。 何としても。 それだけの想いがあるから」
今なら言葉で惑わすのではなく、想いで説き伏せる自信がある。
「……あれだけ馬鹿な行動を後悔していたのにか?」
「震えるほど後悔したから、やるんだよ」
「……」
僅かな、間。
「……へっ」
その含み笑いは、俺の尊敬する人物から零れ出た物だった。
「いい目するようになったじゃねえかよ。 ああ、あの時みてえな目だ」
そう言うこの人の眼差しこそ、形容し難い不敵な目をしていた。
見守るだけじゃない、相手の存在を認める確かな意思を込めた輝きだった。
そう、思わせてくれる輝きだった。
「行ってこい」
「オッサン……」
古河さんの答えに少なからず動揺する岡崎だったが……
「どいつもこいつも馬鹿ばっかりだな」
堪らず零した岡崎の苦笑も、魅力的な男臭い顔だった。
そんな二人が、俺は大好きだった。
「行け。 行ってかましてこい。 ……恭介っ!」
その言葉をかけてくれたのは、果たして二人の内どちらだったのか?
それはここで語ることでもない。
今、俺がするべきことは…… そう、たった一つだけだから。