「どうしたの? こんなところで?」
「っ……」
真っ直ぐな瞳が俺をみつめる。
純粋な、眼差しで……
「……あ、ああ。 少し、な」
上手く、考えを纏められない。
「ん~? ……もしかして、まだテレ屋さんのままなのかな?」
そう言いながら神北は、伸ばした人差し指を口元に当てて、軽く首をかしげた。
「い、いや…… そういう事では」
「ん、じゃあ戻ろうよ謙吾くん。 パーティー会場で楽しい事がはじまるんだよ~♪」
タノシイ、コト?
「ほらっ、行こうよ~」
笑顔で、近づき、俺の手を……
「やめろっ!!」
「えっ?」
「……謙吾くん?」
俺に伸ばしかけた手。
それを振り払われた神北は、ただでさえ大きな瞳を更に丸くして……俺の顔を見る。
「楽しい事、だと……?」
──読書ですか…… それは──
あの日の言葉が、目の前の少女と重なる。
「え、え、えと……」
今俺は、この少女に対してどんな眼差しを向けているのだろう。
彼女にしてみれば何がなんだか分らないのかもしれない。
普段なら馬鹿な事を率先して行動する男友達。
そんな奴が自分の手を振り払い……いつもとは違う感情をぶつけてきているんだ。
それも、自分にはまったく身に覚えの無い事で。
「どう、しちゃたの……かな?」
どうしたのだって?
俺だって知りたいさ。
でも、止まらないんだ。
あの時の想いが、その後の後悔が……
──それは、『楽しい事』、なんですか?──
怒りや悲しみじゃない。
その時、彼女の瞳が映していたのは、
──ご意見、ありがとうございます……でも、──
薄れてゆく期待の色、失望だった……
──宮沢さん…… あなた自身がタノシイと思えるコト…… それを教えてください──
教えられえる訳が無いだろう。
あの当時の俺が楽しんでいた事など……何一つありはしなかったのだから。
どれくらいの長さだったのだろう。
あの瞳が、俺を捕らえていた時間は。
──……ごめんなさい、失礼しますね……──
答えを返せなかった俺の横を、艶やかな黒髪が流れ過ぎて行く。
それはまるで、開いた掌から、水が零れ落ちるように……
その翌日、
彼女は……
「謙吾くんっ」
「っ!?」
世界に、色彩が戻る。
「わ、悪い、神北」
目の前には不安そうな少女。
……一度は振りほどかれた手を、再び握り締めて……
「んっん…… これから何が始まるんだ? っと、自分の目で確かめた方が良さそうだな」
未だに心のスイッチを切り替える事は出来ていなかったが、なんとか普段通りの言葉を吐き出す。
……どうかしている。
俺は決めたはずだ。 十分に、今を、楽しんでいくと。
心の折り合いは、既に付いている筈だ。
校舎に向かって足を踏み出そうと、身体の向きを変えるが、
「?」
「待って」
繋がれた手が、俺をこの場から動かさなかった。
「今、凄く辛そうな顔してるよ?」
「そんな事、」
「あるよね?」
むぅ、時々あるな。
こうやって、神北が強気に意見を伝えてくる事が。
正直、今のように心の中が揺らいでいる時には、少しだけ……煩わしい。
「なんでもない」
「うそ」
「本当だ」
「む~~~」
しつこい。
例え俺の心の内を伝えたところで、お前に何が分る?
「言ったところで意味は無い」
「ようしっ、言ってみよう♪」
「……人の話を理解しているのか?」
「え? もちろんだよ~。 もしも悩み事だとしたら、力になれるかもしれないよ?」
笑わせるな。
だったら答えをくれるのか?
この想いの行き着く先を、向けどころを、教えてくれるのか?
「思い出していただけだ」
「思い出していた?」
「……古式の事を」
「あっ……」
お前も知っているんだろう?
俺が彼女の相談に乗っていた事を。
……そして、報いる事が出来なかった事を。
「俺はあの時、『楽しい事』なんていう想い一つも伝えられなかった」
「……」
「そんな俺が、今じゃ率先して『楽しい事』を享受している」
「……」
「恨まれて……当然だな」
神北に視線を向けず、淡々と語った。
正に予想通りだ。 分る筈も無かっただろう?
……何をやっているんだ、俺は。 八つ当たりも良いところだ。
たまたま感傷的な気分になり、近くにいた友人に対して感情という名の傷をつける。
精進が足りなさ過ぎる……っ。
「すまない、忘れてくれるとありがたい」
それだけを言い放ち、俺は今度こそ校舎へと歩き出した。
神北は、ついてこなかった。
だが、
自己嫌悪に浸る間もなく、
「古式さん……可哀想」
背後から突き刺さった古式への同情の言葉が、心の隙間に冷たく差し込まれた。
視界が反転する。
振り向いた目に映ったのは……
射抜くような眼差しを持つ、俺の知らない少女だった。