「……ほぉ」
中々居心地の良い場所だな。
光坂高校の中庭──
季節柄緑は少ないが、それでも良い風が吹いている。
初めて訪れた時は……そうか、野球をしに来たんだったか。
既にその時には秋の気配が漂っていて……
「木々の色合いが失われ始めていたような……そんな気がするな」
俺は目を瞑り、記憶の中から三ヶ月ほど前に見たであろう風景を引っ張り出そうしたが……
「む、いかんな…… 野球にはしゃいでいた事しか思い出せん」
思い出として心に浮かぶのは、楽しかった子供心の溢れる時間。
「ふぅ……」
無意識に溜息が零れる。
……青々とした木々を想像したからだろうか。
……かつては味わえていなかった『楽しい時間』というものを客観視した所為だろうか。
……ついさっきまで、騒がしくも充実した時間を過ごしていた為だろうか。
そのいずれも直接的に関係してはいないのに。
思い浮かんだ単語の一つ一つが、鍵の役割を果たしたかのように。
この俺、『宮沢謙吾』の底に漂う記憶が顔を覗かせ始めていた……
木々の緑が眩しかった。
初夏。
俺は子供の頃から何も変わらず、何も変えられず、同じ日々を繰り返していた。
剣道の練習を行い、食事をし、授業を過ごし、翌日に備える。
行っていた事と言えば、ただそれだけだった。
それでも、そんな俺にちょっかいを出してくれていた幼馴染達がいた。
しかし俺は、その差し伸べられていた手に対して、迷惑そうな受け答えと仕方がなく付き合うといった行動を返すだけ。
俺自身、その行いにどれだけ支えられていたのか……
気が付きもせず…… いや、気が付かない振りをして、ただただ同じ毎日に没頭していた。
もしもあの時に、素直になれていたら。
『今』の思考を、持ちえる事が出来ていたら。
──私は、弓以外の……何を生き甲斐にすればよいのでしょうか?──
表面上だけではない、自分の意思を乗せた言葉を聞かせる事が……出来たのではないだろうか。
「何を今更……」
自らの声によって、意識が『今』に戻ってくる。
俺は周囲を見回した。
もちろんそこには青々とした思い出の緑なんてものはなく……
冬の風に身を奮わせる、寒々とした木々が広がっているだけだった。
「……?」
奇妙な感覚だ。
今しがた、俺はこの風景に対してどんな感情を持っていた?
……良く分からない。
確かに言える事は、今俺が感じている想いは唯一つだと言う事。
「……寂しいな、ここは」
遠くから人々の喧騒が僅かに流れてきた。
恭介達の声なのか……?
それは、今迄俺がいた場所。
それは、今、俺がいない場所。
……落ち着かない。
心の中で、何かがざわついている。
「……ふぅ」
再び瞼を閉じ、深く息を吐いた。
視界を閉ざして、一人佇む。
すると出番を待っていたかのように……あの夏の記憶が這い上がってきた。
──読書でもすればいいんじゃないか?──
なんてことはない。
俺が言った言葉の理由は至極単純。
もしも俺が剣道をなくしてしまったら何をするか、と言う想像から辿り着いた答えだったからだ。
即ち、
『何も思いつかなかった』
ただ、それだけ。
だから適当な言葉に置き換え、当たり障りの無い羅列に変化させただけだ。
その時の彼女は、一体どんな表情をしていたのだろう。
今では、もう、……思い出すことが、出来ない。
「嘘だっ!」
自分の記憶を、自ら叱責する。
「思い出せないんじゃない…… 『思い出したくない』だけだ……」
だって、俺は知っているじゃないか。
彼女の……あの、俺を見る瞳を…… 知っているはずだ。
だから、だからこそ『今』俺は……っ。
「謙吾くん、ようやく見つけたよ~……」
「っ!? ……神北……?」
不意に現れたその人影は、俺の意識を記憶の海から引き上げる。
正に予想外の出来事。
俺は意識のスイッチを切り替える暇も無く、彼女の前に立ち尽くしていた。