「杏…!」

 

 

 自らの不用意な発言を取り戻す為に。

 いまだ掴みきれてはいないが、確かな心の内を少しでも伝える為に。

 

 

 彼は、彼女の姿を追い求めていた。

CLANALI2  第三十五話

「……あ~、やっちゃったぁ……」

 

 彼女はようやく一息ついたのか、自分の行動を振り返って後悔の念に包まれていた。

 

「何逃げ出してるのよあたしは…、ったくどんな顔して戻れってのよ」

 

 これから帰ろうか、というタイミングで突然その場からいなくなる。

 普通ならば誰でも心配する事だろう。

 幸いな事に彼女がいなくなった原因について知る者は殆ど居ない。

 忘れ物をしていた…気になる事があった…

 戻った後の言い訳はなんとでも出来るだろう。

 しかし、彼女が抱えている問題はそういった事ではなく…

 

「あの馬鹿。 なんなのよ本当に…」

 

 

 

 

 

 その男と知り合ったのはちょっとしたイベントの時だった。

 他校の生徒との草野球。

 よくわからない話の流れではあったが、大勢で遊ぶ事に対しての抵抗はまるでなかった。

 いつもの面々と新しく知り合った人達、その全員が入り混じって遊びに遊んだ一日。

 毎日繰り返される日常とはほんの少しだけ色彩が違った一コマの中、彼女は彼と出会った。

 

「初めはただの好奇心から話しかけたのよね…」

 

 当日の話を持ち出した人物、それはどんなヤツなんだろう?

 それだけの気持ちで声をかけ、人懐っこさに心を許し、自分の事を認められて…

 赤面するような一言を言い放たれた。

 

「しかも無自覚よ、無自覚。 性質が悪いと言うかなんと言うか」

 

 そこから彼女のリズムは狂い始める。

 今までにも彼の言葉に似た台詞を何度か男子に言われた事もあったのだが、その都度感じていた想いはとても簡単。

 口説き文句と言うか表面化した下心と言うか。

 もし、彼からもそれらと同じ感情が見え隠れしていたのだとしたら話は簡単だったのだが。

 

「あっさり言うのよねぇ…あいつって。 とても自然に」

 

 その後も彼が度々口にする言葉の一つ一つが、行動の一つ一つが彼女の心に触れていく。

 気が付いた時には『特別な感情』に分類されるポジションに入り込んでいた。

 

 それは彼女にとって二度目の体験。

 

「結構気を使っていたつもりだったのにな…」

 

 一度目の体験をする前は相手に誤解されないように、また、自らも相手を誤解させないように。

 ちょっとした体験から、男子との対応や距離感を常に考えてきていた彼女だ。

 そういった中で起こった一度目の体験は、彼女にとって本当に特別なものだった。

 実る事はなかったが、本当に大切だった彼女の想い。

 その想い出を、そんな簡単に捨ててなんていなかった。

 例え、あの男子の隣に…朋也の隣にいられなくても、見守っていたいと思ったのだから。

 朋也と、渚を……、友人として。

 

 それなのに……

 

「今はあいつの事ばかり考えてる…… ねぇ、知ってた…? あたしってさ、…臆病…なんだよ?」

 

 確かな言葉を伝える怖さ。

 相手の心を知る怖さ。

 『今』が変わってしまう、その事実。

 自分の弱さを自覚していた彼女は、自らの感情に気が付いても最後の一歩が踏み出せなかった。

 だからだろうか?

 それとも最初から自分ひとりの空回りだったのだろうか?

 

「結局あいつにとってのあたしって、なんでもないお友達だった…って事、なんだよね…

  あはは…、良かったじゃない。 最後まで踏み込まなくて。 『関係ない事』…だもんね」

 

 とても、とても弱々しい笑顔が浮かんでいた。

 心の奥底にある感情とは反する結論を導き出したからだろう。

 想いの擦れが形となって零れだす。

 

 ……彼女の瞳から…一粒、また一粒と。

 

 

 

 

 そして、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「ようやく…見つけた……」

 

 

「……どうして……?」

 …来たのよ…?

 

 

 彼の声を聞いた彼女は、最後まで言葉を続ける事が出来なかった。

 

 溢れ出す想いの欠片が。

 瞳から溢れるその欠片が。

 

 彼女の言葉を奪い去り、自らの存在を主張していた。

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