俺と渚は買い物を終え、古河パンへと帰宅した。
店の中から数人の声が聞こえてくる。こんな時間だというのに客か? 大繁盛だな。
「わっ! ヘンな人が入ってきましたっ!」
俺は店の扉を開く。
と同時に、随分と酷い反応が返ってきた。
「あ、伊吹先生に芳野さん、それにふぅちゃんも、こんばんは」
「はい、こんばんは、渚ちゃん。それに岡崎さんも」
「よう。邪魔してる」
「渚さんですっ!」
「ふぅちゃん? ちゃんとご挨拶しなきゃ駄目でしょ?」
「いいんですっ! 風子と渚さんはもう挨拶なんか必要としない間柄なんですっ! こんばんはです! 渚さんっ!」
すんのかよ。
「ふぅちゃん、岡崎さんには?」
「誰ですか? それは?」
「お前な」
風子の頭を手のひらでぐりぐりしてやると、こいつは「わわっ!」と声を荒げ、俺の手を払いのけた。
そのままそそくさと芳野さんの後ろに隠れる。
しかしながら、残念なことに丸見えだった。
「最悪ですっ! ぷち最悪ですっ!!」
あいかわらず風子の判断基準は判りにくい。
とりあえずぶーぶー言ってる風子は置いておこう。
「しかし渚、いいかげん『伊吹』先生はないんじゃないか? 結構時間たったぞ?」
「あ、すみません。また呼んでしまいました」
「いいんですよ岡崎さん。教え子にはその当時の名前で呼ばれたいものなんですから」
「ごめんなさい伊吹先生。わたしもやっぱり伊吹先生は伊吹先生とお呼びしたいです」
「ありがとう、渚ちゃん」
「はぁ、そうゆうものですか……」
「そうゆうものですよ、岡崎さん」
「芳野さんはいいんですか?」
「岡崎、心配するな。そうゆうものだ」
「そうゆうものですか……」
「ああ。そして、それが……愛だ……」
単にそう言いたいだけなんじゃないか? この人は。
でも。
芳野さん達には、いろいろな事情があった。
それを乗り越えて今、こうして優しそうに微笑んでいる。
正直、かなわないと思う。
もし、自分がこの人達の様な立場になったら、と想像すると……とても怖い。
実際俺は、今でも自分の父親との関係から逃げているのだから。
「ヘンな人がヘンな顔してますっ! きっと風子でヘンな想像をしているんですっ!」
「余計なお世話だ。だいたい想像にはまって変な顔になるのは風子、お前だろう?」
「まったく、顔だけではなく考えも失礼な人ですね。岡崎さんはっ」
失礼な顔ってどんな顔だよ。
「風子はとても現実的ですっ。リアリズムの宝庫です。おかしな噂は立てないでください」
いろいろつっこみたいが、まぁいい。
「ほれ、風子」
「なんですかもう。あぁっ!? ヒトデパンですっ!! 可愛いらしすぎますっ! ……ほぁ~」
はいトリップ完了。
さて、この状況で何もしないというのは、風子マスターとしての名が泣くというものだ。
選択肢1・鼻からジュースを飲ます。
駄目だ。 さすがにこの二人の目の前では出来ない。
選択肢2・風子の鼻をつまむ。
……どうも渚の前では躊躇われる。
選択肢3・持っているパンを取り替える。
これだ。
脳内で行動を選択する。そして俺は風子の持つヒトデパンと、売れ残りのパンとを取り替えた。
「何しているんですか? 朋也くん?」
「ちょっとな。マスターとしてはどうってことないスキルさ」
「?」
「岡崎、あまり俺の義妹で遊ぶな……」
「そうですよ、岡崎さん。ふうちゃん、きっとびっくりしてしまいますよ?」
そうは言っても二人とも、手は出さないで傍観ですか。
「お! お姫様のお帰りだ」
おっさんが奥から顔を覗かせてきた。
「ただいま戻りました」
「ん? 小僧、早苗パンがどうかしたのか?」
なに!? これ早苗さんのパンだったのか!?
「ああ。大きな声じゃ言えねーが、かなりのモンだぜ? そりゃ」
「わぁっ! なんですかこれはっ!?」
風子のやつ、いつもよりかなり早く帰ってきやがった。
「風子のヒトデがおかしなパンに生まれ変わりましたっ!」
「はっはっは!、そりゃ確かにおかしなパンだな! なんせそのとおり放送倫理すれすれな形だからな。
置いてから誰一人手を伸ばさなかったっていう大物だ。売ってるこっちがびっくりだぜ!」
「「「「あ」」」」
オッサンの後ろから出てきた人影が、ふるふると震えだした。
「んー? なんだよ?」
「わたしのパンは……」
「げっ! さ、早苗!」
「放送コードに触れるものだったんですねーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
やっぱり今日も、泣きダッシュ。
「くっそ!! 油断したっ!!」
オッサンは放送不可パンを大量に口に咥えて、早苗さんの後を追いかける。
「俺は大好きだぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
何度見ても、自業自得な光景だった。
「お買い上げ、ありがとうございます」
「またね、渚ちゃん、岡崎さん」
「じゃあな、二人とも」
「まったく。岡崎さんがいると、いつもヘンな事が起こりますっ」
三人とも今の出来事には慣れたものだった。
「いい時間だな。店じまいとするか」
「はい。お母さんはまだ帰ってきませんので、わたしがご飯を作っておきます」
「ああ、まかせた」
「はいっ!」
じゃ、とっとと店を閉めて渚の夕食を頂くとしますか。