四回の裏、打席に立っているのは八番の椋だ。
「え、えいっ」
ぶぅんっ 「ストライク!」
「あ、あの…」
「え? なんですか?」
恐る恐る理樹に問いかける。
「あの方、こんなにボール速かったんですか…?」
デットボールを受けた時とは球速がまるで違う。
「うん。 ノッてる時の鈴は、このぐらいが普通だと思うな」
「これが当たったりしたら、とても痛そうです…」
さすがに腰が引けている。
「大丈夫だよ藤林さん。 もう絶対にさっきみたいなボールは投げないから」
「…絶対、ですか…」
「うん」
「…その自信が、一番びっくりです……」
「?」
理樹にしてみればとても当たり前な事。
しかし、他人の目から見るとやはり少々度が過ぎて見えるのだろうか。
「ストライクッ! バッターアウト!」
「……私の順番が来たの」
「ことみちゃんっ!」
春原がことみに声をかける。
「安心して行ってきていいからね! この後には僕の打席が待ってるんだ。
『仏の顔も、三度ある』ってね! 気にせず振り回してきちゃいなっ!」
「???」
ことみは混乱している。
「あほ、三度あってどうすんだよ。 『仏の顔も三度まで』、『二度あることは三度ある』、だろうが」
つっこむのも疲れたように、朋也が春原にぼやく。
「あれ? そうだっけ? ま、どっちでも問題ないよねっ!」
見事に意味が違う。
「???」
ことみは『はてなみっつ』のまま打席に向かっていった…。
ヒュンッ! 「ストライクッ!」
「……」
ヒュンッ! 「ストライクッ!」
「……」
「ことみさーーんっ! バット振ってバット振って!」
ヒュンッッ!! 「ストライク、バッターアウト!」
「「「ああー…」」」
結局見逃し三振。
「どうした一ノ瀬? 手が出せないほど速かったのか?」
戻ってきたことみに智代が声をかけるが、
「……」
「? 一ノ瀬…?」
「…! わかったの」
「え? なにが…」
「『仏の顔も三度ある』…これは仏教の基本的な教義である三法印から生まれた、とてもとても
ありがたい解釈なの。 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法を基礎媒体として野球の打者に
悟りを開かせようとしてくれたお釈迦様の十二支縁起を春原さんが…」
ぽすんっ!
とても軽く頭を叩く。
「帰って来いことみ。 あの馬鹿がそんな意味を込めて話したと思うか?」
朋也がことみワールドを強制終了させる。
「いたいの朋也くん… いじめっこ?」
「違うって…。 ほら、あの馬鹿の打席を見てみろよ。 ありがたいか、アレ?」
「柊ちゃーーーーーーーんっっ!!」
ぶぅぅぅぅぅぅぅぅんっ! 「…ストライクです」
ここに居もしない勝平の名を叫びながら、大振りでつり球に釣られている。
「…煩悩丸出しだな、あの男は」
「智代の言うとおりだ。 今、妄想の中で壮大な駄目ラブストーリーを繰り広げているんだろうな…」
「駄目…ラブストーリーか…」
「? 智代…?」
「なんでもない。 …なんでもないんだ、岡崎…」
「…?」
「??? ……なんでやねん」
「まったくタイミングがおかしいからな、ことみ」
「…とってもとっても難しいの……」
「いやー。 あの子のボールはすごいねっ! まさかこの僕がやられちゃうとはねっ!」
ベンチに戻ってきた春原だったが…
「春原さん…」
「ん? なんだい、委員長?」
「ちょっとお話が…」
「なんだよ話って? これから守備に…ひぃぃぃぃぃっ!」
どうやら椋から立ちのぼる殺気という名の気配を感じ取ったようだ。
「…ここではなんですので…こちらへ……。 どうして勝平さんの名前を叫んでたんですか?」
「い、いや…あははっ。 ちょ、ちょっと待っ…、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「……なんでやねん」
ことみの一人つっこみ練習の声だけが続いていた……。