「それにしても汐ちゃんは可愛いよねー。天使さんみたいだよー」
「はっはっは。ったりめーだ。なんたって俺様の孫だからな!」
ほにゃけた笑顔で汐の愛らしさを堪能する小毬に、秋生が胸を張って答える。
「いや、可愛らしいだけではない。何と言うべきか……芯が通った力強さがあるとでも表現すべきか」
「はっはっは。ったりめーだ。なんたって俺様の孫だからな!」
小毬の指先にあやされている汐に目を細めているのは智代だった。
「な、なあ。俺も触っていいか?」
「ああん? なにそんなに恐縮してやがんだよお前は」
「だってよ。俺が触って、もしもだぜ? もしも筋肉がこいつに移ったりでもしたら……」
「はっはっは。気にすんな。なんたって俺様の孫だからな!」
不安そうに問い掛ける真人だった。そして答えたのもまた秋生であった。
「すごいです。皆さん風子の汐ちゃんが大好きなんですねっ! 風子、嬉しくもあり嫉妬心も芽生えたりで大忙しですっ」
「はっはっは。すげぇだろ? なんたって俺様の孫だからな!」
「なんと。それは聞き捨てならないお言葉です。汐ちゃんは風子の妹になるんですっ」
「けっ。おめえの妹になる前に俺様の孫なんだよ!」
「そんなことありませんっ。古河さんのお孫さんである前に、汐ちゃんは風子の妹として存在しているんですっ」
「んだと? だったら汐は俺様の嫁にしてやんぜ!」
「プロポーズですっ!? でしたら風子は汐ちゃんの二親等となることを誓います!」
「いや、汐は俺様の……っ」
「いえいえ、汐ちゃんは風子の……っ」
「汐は俺の娘だっ!」
風子と秋生の汐争奪戦を切り捨てたのは朋也の叫びだった。
それはもう魂のあらん限りな叫び声であった。
「……ほんと大人気ねー。汐ちゃんは」
恭介のコップに冷酒を注ぎつつ、杏は汐を巡る争いに意識を向けていた。
「お前は混ざらなくていいのか? あそこに」
「冗談。だってあたしは他の誰にも奪われることのない立場を手に入れて見せるんだから」
「立場って……あ、そうか。赴任先が決まったって言ってたよな」
「そうよ。三年後、あたしは汐ちゃんの『せんせい』になるんだから」
短大を卒業し、保育士としての資格を取得した杏。
既に赴任先という名の就職先が確定していた。
そこは折しもこの町の保育園であった。
高校時代に何度も通った通学路、その途中にある保育園だ。
「気が早いというかなんというか。あの家族がずっとこの町にいるのかどうかもわからないじゃないか」
呆れ半分な顔の恭介が、杏の描いた言葉を折った。
三年。三年後の話なのだ。
「いるわよ。あの家族は」
しかし、杏は自信を持って断言する。
「あれだけ愛してくれている家族がいるこの町に。あれだけ大切にしている家族がいるこの町に」
「……古河さん達と、渚さん、汐ちゃん、か」
「そりゃね? 朋也自身の仕事にだって転勤とかあるのかもしれないわよ? でも、さ」
コップを傾けて一息で酒を飲み終えた恭介。
彼を待っていたように杏は恭介に目を合わせて話を続けた。
「朋也達はこの町にいるって。なんだかそう思うのよ。この町に愛されてる……ていうのかな。なんか、うん」
漠然とだが、杏にはそう思えて仕方がなかったのだ。
高校時代。
杏が朋也に対して抱いていた考えは今とは真逆であった。
いつか、それも近いうちに、朋也はこの町から出ていくのだろうと、そう思っていたのだ。
退廃的な、自堕落な、刹那的な生活をしていた朋也。
それでも朋也は朋也であったのだが、必ずいなくなってしまうような雰囲気を纏っていたのも確かであった。
その朋也を変えたのは何だったのか。
春原や杏達といった同級生達との毎日が。恭介や理樹達といった友人達との出会いが。
渚が、古河家の二人が。
そして、汐が。
彼を変えたのだろうか。彼が変わったのだろうか。
詳しくは知る由も無かったのだが、朋也の性格には実の父親との確執があったらしい。
それは現在も続いているのかもしれないが、自分が心配する事はないのだと、杏は誰に言うでもなく理解していた。
渚と、新しく繋がった家族と、新しく生まれてきた家族がいるのだから。
朋也一人では見ることのできなかった父親に対する角度も、今の朋也には越えられない壁ではないのだと信じられた。
「愛する人達との繋がりって……そんなにも、こんなにも強くなれるものなのかしらね」
それは隣にいる恭介に対しての言葉ではなかったのかもしれない。
自分自身に対しての問答だったのかもしれない。
だが、彼女の恋人は。お節介なこの男は、そのまま流すなんて器用な真似はしない。
棗恭介たらしく想いを汲み取るのだった。
「……俺は、強くなれると思う」
「え?」
「俺はお前と一緒になることで、今とはまた違う自分になれたらって思うぞ」
「……馬鹿」
酒の後押しか。桜の色彩か。場の空気か。
恭介の口から出た言葉は、言葉通りの意味を備えていた。
「ばーか。……ほんと馬鹿」
「照れるなって」
「最悪だわこの男」
と文句を言う杏であるが、その頬には周囲を舞う桜以上の赤みが射している。
将来を誓う言葉。添い遂げたいという明確な意思表示。
二人の間には既に予定された未来としての生活があったのだった。
これは、ただの確認作業。
しかし、
「なんだよ、嫌になったのか?」
「ほんっとデリカシーの無い男よね! 確認なんかするな馬鹿っ!」
乙女心とは本当に難しい。
昨日の段階では、今日この場で親しい友人達に、自分達の結論を披露するつもりであったのだが、
「痛ぇっ!? 膝の裏を抓るのは反則だろっ!?」
「うっさい!」
「んが! マジで! マジそこやばいって!」
それに関しても問題は山積みであるようだった。
結局。
恭介と杏が重大発言をすることが出来たのは、宴もたけなわ、盛り上がりに盛り上がっていた時となる。
予定は今年の六月だと。
広がったのは瞬間的な沈黙。
膨れ上がったのは拍手喝采。
舞い落ちる桜の花弁に負けないほどの、笑顔の花吹雪。
場の締めには、主役となった男女一組のくちづけが。
これが今年の花見であった。
忘れられない、花の宴であった。