「おおう? どこからかはるちんを呼ぶ声が聞こえますヨ」

「何言ってんだお前?」

 

 突如葉留佳が俊敏な動作で立ち上がった。

 その声に反応したのはシートに腰を下ろしたばかりの真人。

 自身の前に置かれているクド特製弁当に意識を集中していた真人は、隣で騒ぎだした葉留佳へと視線を向けた。

 

「どうした? 首の運動かよ?」

「ややや、違いますヨ。今誰か私のこと呼んだような気がしたような、しなかったような、勘違いのような……」

 

 そう言いつつ身の回り全方向へと首を向ける葉留佳。

 ぐるんぐるんと素早く見渡しているため、髪は首の動きにつられて、まるで意志を持っているかのような動きをみせる。

 

「ちょ、葉留佳……っ。髪当たってるわよ」

「ありゃりゃ。失敗失敗。ごめんね、お姉ちゃん」

「落ち着きなさいって。まったく……今日はいつも以上に元気ね葉留佳。まるで昔みたいだわ」

「何をーっ。今だってはるちんは元気もりもりだー……っ!? こっちだ!」

「もがっ!?」

 

 佳奈多との会話を遮る形で背後へと振り返る葉留佳。

 煽りを受けたのはやはり真人。

 すぱん、というか、もふり、というか。葉留佳の変則ツインテールが真人の顔へと直撃していた。

 流石に口論を始め出す真人と葉留佳であったが、その言い合いも直ぐに収まった。

 葉留佳が向いた方向から彼女を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

 はるちゃーん、と。

 そのように葉留佳を呼ぶ者は極めて少ない。いや、ただ一人である。

 

 姿を現わしたのは少しだけ髪の伸びた小毬と、彼女の隣りに立つ謙吾であった。

CLANALI-AFTER STORY  第三十四話

「そっか。合格したのね」

「ああ。本当に良くやったと思う。河南子も鷹文をしっかりと支えてくれていたし、二人して本当に喜んでいた」

「体育の教師かー……。夢に向かってるんだ」

「大学に受かったという入口に立った状態ではあるのだが……それでも我が弟のことながら自分のことのように誇らしい」

 

 杏と智代が鷹文の門出を祝っている。

 弟の努力を知っている智代には誇らしげな笑みが。そしてその笑みにつられるように、杏の頬にも笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「あそこに停まってるのお前さんの車だって? 嬢ちゃんのくせにいい車乗ってんじゃねえか」

「ええ。ありがとうございます、というのもずれた返答だと思いますが」

「免許は高校のときに取ってたのか?」

「卒業後に教習所を飛ばして直接試験に。古河さんも免許はお持ちと聞きましたが」

「車は持ってねーけどな。渚達の引っ越しに使って以来運転もしてねー……って直接本試験直行かよお前!?」

 

 来ヶ谷と秋生が車にまつわる他愛のない会話をしている。

 秋生は煙草を咥えているが火を点けてはいない。来ヶ谷もそのことに着目したりはしていない。

 

 

 

「んだよ謙吾。神北とご一緒に到着ってか? 相変わらずみたいだな」

「む。そういう真人。お前こそ能美と一緒だったのではないのか?」

「……」

「……」

「なんだ、まあ、食うか? これ」

「あ、ああ。……お、美味いな」

 

 真人と謙吾が互いに苦手なジャンルの話題をしようとして見事に失敗している。

 場を和ませたのはほうれん草の胡麻和えであった。

 

 

 

 酒が飲める者は酒を片手に、自粛している者はジュースを代わりに。

 花を愛でる者。団子が全てだという者。談笑に盛り上がっている者。

 己々が己々の楽しみを満喫している、笑い声の絶えない時間がそこには存在していた。

 小毬や謙吾が到着したのを皮切りに参加者が一斉に到着したのだ。

 古河夫妻が、智代達が、来ヶ谷の車が、理樹に鈴が。

 そして……、

 

「……奥さん似かっ。良かったな朋也!」

「うるせえ恭介。ったく、散々言われてるんだよその言葉は。もうつっこみ飽きたっての」

「とか言いながら緩みまくってるその顔はなんだよお前」

 

「すごくちいさい手だ。ん……と、な? ……触っても、いいか?」

「はいっ、お願いします」

「ん……。……っ! 理樹っ! 柔らかいぞ! この子の手、くっちゃくちゃにやーらかいぞっ!?」

 

 朋也と渚と、

 

「しおちゃん。鈴お姉ちゃんが、しおちゃんのおてて、とてもやわらかいって言ってくれてますよ?」

 

 岡崎汐が。

 

「っ!? 指握られた!? 握られたぞ理樹! どーすればいい!」

「いや、そんな驚かなくてもいいんじゃないかな……。えっと渚さん、このまま握らせていても大丈夫ですよね?」

 

 渚の胸に抱かれている汐。

 おっかなびっくり指を差し出した鈴だったが、その手に触れた瞬間、汐は鈴の人差し指をきゅっと握りしめたのだった。

 とても、とても小さな力だったのだが、だからこそ振り解くことも出来ず。

 鈴は母親である渚と、隣に座っている理樹へ、おろおろと助けを求めるだけであった。

 

「ええ。もし良かったらそのまましおちゃんと遊んでもらえますか?」

「あそぶ?」

「はい。ゆっくり、軽く、そのまま指を上下に動かしてもらって……」

「……こうか?」

 

 言われたとおりに指を動かす鈴。それでも汐は握った手を離さず、鈴の動きにつられて腕を上下に動かすのだった。

 不思議そうに。でも、どことなく楽しそうに。

 

「しおちゃん良かったですね。鈴お姉ちゃんが遊んでくれてますよ?」

 

 渚の言葉に反応したのか汐の頬が朗らかに緩んだ。

 にぱー、と。

 花開くように、頭上の桜に負けないように、汐の笑顔が咲いたのだった。

 

「わあ……可愛いね、鈴。……鈴?」

 

 理樹が鈴に目を向けると、当の鈴は顔を真っ赤にしていた。

 驚きと幸せを混ぜ合わせたような表情と共に。

 

「……おねーちゃん。りんおねーちゃん。おねーちゃん。……鈴お姉ちゃん……」

「もしかしなくても、すっごく楽しんでる? 鈴?」

 

 意外なところで恋人の新たな一面を発見した理樹であった。

 

 

 

 

 

 

「なんかお前の妹、とんでもなく嬉しそうだぞ?」

「みたいだな。鈴が子供好きだったとは知らなかった」

 

 汐を囲んでいる鈴達に目を向け、朋也と恭介は同時にコップを傾け合った。

 春爛漫な日差しの下、桜色の世界の中で幸せと一緒に喉を滑り落ちるビール。

 それは信じられないほどの美味だった。

 

「ま、うちの汐は美人だしな。お前の妹が落ちるのも頷けるさ」

「とっくに親馬鹿になってやがったか……」

「って直枝! お前今汐のほっぺぷにぷにしやがったなっ! 汐ー! 大丈夫かっ!」

「……馬鹿親でもある、と」

 

 苦笑しながらつっこむ恭介の言葉は、朋也の耳には届いていないようだった。

 妻に叱責され、友人の妹に威嚇され、周囲の笑いを一身に浴びている新米父親。

 恭介はそんな朋也の姿を見ながら再びビールを口に含む。

 

 

 やはり、どうしようもなく美味であった。

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