「ん……しょ。ん……しょ」

「お……おおぅ。堪らないなこれは……」

 

 風呂場には、湿り気を帯びた理樹の声と、同じく湿度の高い恭介の声が響いている。

 理樹の声が零れるのと同時に流れてくるのは、泡立ったタオルが肌に擦れる音。

 ごしごし、と。ごしごし、と。

 ボディーソープを十分に含んだ泡まみれのタオルは、理樹による絶妙な力加減によって恭介の背を天国へと誘う。

 ふわりとしたきめの細かい泡。水気を含んだ少しだけ固めのタオル生地。そしてそれを動かすしなやかな指先。

 理樹に背を洗ってもらっている恭介は、言葉の通り、極楽気分を味わっていた。

 

「悪いな理樹」

「そんなことないって。さっきは僕が背中を流してもらっていたんだし。順番だよ、順番」

「あー、気持ちいいわー」

「あはは。恭介、それってちょっとおじさんっぽいよ?」

 

 杏と鈴を置いて風呂へとやってきた恭介達は、童心に戻って背中の洗いっこをしていた。

 最初は恭介が、そして今は理樹が相手の背を流している。

 恭介が背を流していたときに感じたのは、記憶の中よりもずっと大きくなっていた理樹の背中だった。

 男の子……ではなく、男性としての背中になっていたのが印象深かった。

 そして、今背を洗っている理樹が感じているのは硬さであった。

 勤労による肩こりなのか、それとも別の何かによるものなのか。

 恭介の背中には……言葉にしにくい何かが、そう、いうなれば深みがあった。

 

「そろそろお湯で流すよ。いい?」

「ああ。ありがとうな」

 

 理樹は断りを入れたうえで、シャワーノズルを手に持ち、その先端を恭介の背中へと向ける。

 少しだけ熱めのお湯が恭介に纏わりついていた泡を流し去っていった。

 流れるお湯とすすいでいる理樹の手のひらを背中に感じながら、恭介は理樹の現在を思い描いく。

 理樹は今、鈴と二人でトリミングの専門学校に通っていた。

 将来はトリミング兼ペットホテルのお店を、鈴とやっていけたらなって……。

 以前、理樹が恭介に言った言葉。

 その言葉を聞いた時、恭介は嬉さを感じたのだった。

 漠然とした夢。難題が多く立ち塞がるであろう将来像。

 それでも、鈴との未来を見据えてくれている理樹の未来を、親友として、兄として、応援していこうと。

 

「良し! じゃあ今度は前だな理樹!」

「……え?」

「え、じゃなくて。ほら。今度はお前が座れって」

「前は自分で……って恭介!? なに手のひらに石鹸の泡を溜めてるのさ!」

「ん? ああ、うん。……任せとけって!」

 

 馬鹿でしょ恭介ーっ!

 藤林家の風呂場から膨れ上がった理樹の叫び声。

 響いてきた声に、居間にいた二人はどちらともなく溜息を吐いていた。

CLANALI-AFTER STORY  第二十九話

「ホントにあの二人は、」

「仲がいいだけじゃなくて、」

「馬鹿よねー」

「馬鹿だな」

 

 自分達の恋人に対する漢字二文字が見事に同調した彼女達。互いに視線を合わせながら笑い合っていた。

 湯気が籠った風呂場では、そんな女性達の声すらも反響させる。

 きっと今の笑い声も居間にまで届いているのだろう。

 湯上り後の恋人達の元へと。

 

「なんだか恭介は風呂上がりって以上に艶々してたわねー」

「理樹は反対に萎びてたぞ」

 

 一体何をどのようにしてふざけていたのか。

 居間ですれ違ったときに軽く問い詰めた二人だったが、彼らからの返答はなんでもないの一点張り。

 実際、純粋にただ童心に返って遊び合っただけであったので、説明することがなかったのだが。

 

「ときどきさー」

「なんだ?」

「……んー、なんでもない」

 

 恭介と理樹に関して邪推してしまう杏でもあった。

 勿論半分以上は冗談として。

 

「……」

「……」

 

 しばしの無音。

 二人が黙ると、二の腕を撫でることによってさざめく水波の音しか聞こえなくなる。

 杏と鈴は二人揃って湯船に浸かっていた。

 藤林家の湯船は一般的なサイズよりもやや広めである。

 それは杏、椋という双子が生まれた際に改装された結果であったのだが、今でも杏は両親の心意気に感謝している。

 杏と椋は姉妹で一緒に入浴することが少なくなかった。

 姉妹での入浴という楽しみを気軽に行う事が出来たのは、湯船の大きさも起因していた。

 入浴時の他愛のない会話。悩みの吐露。姉妹の触れ合い。

 それらは双子姉妹の二人にとって掛け替えのない時間でもあったのだ。

 ただ……一点だけ。高校に入学したあたりからだろうか。

 杏は『とある事柄』を何度も目の当たりにし、その度にむにゃむにゃとした悩みを抱えることになるのだが。

 当時はその悩みが脳裏を掠める度に、椋の体の一部分へと視線を集中させてしまっていた。

 そう。丁度今、鈴がしている視線のように……。

 

「……って鈴!? どこ見てるのよっ」

 

 鈴の視線に感づいた杏が、慌てて胸元を両腕で隠す。

 じゃばっ、という飛沫が湯船の水面を掻き乱した。

 

「……大きいな、杏のおっぱいは」

「な、ななな……っ」

 

 そんな鈴の指摘に対して、杏は瞬間的な沸騰の如く顔を赤らめる。

 当然のように胸元は隠したままで。

 

「うらやましい」

「そ、そんなこと言われても」

 

 鈴は素直な感情の元に言葉を発している。

 しばし自身の胸元を見下ろした後、人差し指を伸ばして……、

 ぷに。

 

「ひやぁっ!?」

 

 豊かさ溢れる眼前の双房へと身体的接触を試みていた。

 接触を受けた杏の驚きようといったらなかった。

 何? 何なの? 触られたっ!? どーなってるのよっ!? ……と。杏の脳内は大混乱。

 杏自身、恋人との生活のうえでそれなりの経験は積んでいるのだが、今も今とて不意打ちというものに滅法弱かった。

 脱衣所での服の脱ぎようは、見ている方が恥ずかしくなる程の気持ち良い脱ぎっぷりを見せた杏であったが……。

 

「ぷにぷにー。ふにふにー」

「やっ、駄目だってば鈴っ! ちょっ、馬鹿ぁっ!」

 

 不意を突いた鈴の指先攻撃の前では一転、見事に花も恥じらうような乙女な反応である。

 当然のようにこれらの嬌声は居間にまで響いていたので、男共はいたたまれない無言の時間を過ごす事となっているのだが。

 

「……はぁーはぁー、はぁー……」

「おもしろいな、杏は」

「なにその感想どーゆうことよっ!?」

 

 何故か無闇に強気な鈴であった。

 というのも前言通りの悩みを抱えていたからであり……。

 

「あたし、小さいぞ」

 

 心持ち切なげな声色で、その心情を吐露していた。

 

「そんな事言われてもねー……。ふう」

「杏は絶対大きくなってると思う。前に比べて」

「ん……ま、ね」

「おお」

 

 杏の返事を聞いた鈴は、杏との距離を更に縮める。もはや湯船の中で密着しているかのようであった。

 

「お願いだ。その極意を教えてほしい」

「極意ってあんた……」

 

 なんの極意か。胸の成長を促すための秘奥儀があるならば寧ろあたしが知りたいわ。

 と、益体もない思考を持て余した杏であったが、やがて一言、深呼吸とも溜息ともとれる呼吸と共に言葉を綴る。

 

「その、あれよ。直枝にでも……その、ねぇ」

 

 揉んでもらえばいいんじゃないの?

 流石に口に出すのは躊躇われたのか、尻窄みな意見を口にする杏。

 瞬間、鈴は疑問符を頭に浮かべていたのだが、やがて意を得たかのように答えた。

 

「駄目だ。理樹の手にはそんな効果はなかった」

「って既に経験済みっ!?」

「情けない男だな」

「うっわ。その辺りすっごく聞きたいけどここまで親しい仲だと知りたくないような微妙なこの感じっ」

「お互い様だな。あたしも馬鹿兄貴とのことなんて聞きたくもないが、それでもその胸の秘密には興味深々だ」

「そーよねー。でもさ、直枝って結構淡泊そうだけど──」

「ああ見えて理樹は──」

「わーわーわー。そんな事言ったら恭介だって──」

「そうなのかっ! なら──」

「うそっ!? じゃあ──」

「──」

「──」

 

 ……。

 声を潜めた彼女達の会話は、居間にまでは届いていない。

 ただ、くちゅん、と。

 居間では同じタイミングで二つのくしゃみが響き渡っていた。

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