「あら」
「あれま」
スーパーの精肉売り場。
年末感謝セール、暮れに正月は今こそ牛肉、広告の品はこちらです、というPOPが所狭しと飾られている夕方の繁忙期。
そんな主婦的エリアの片隅で、杏と河南子が顔を合わせた。
「河南子、だっけ。久しぶりじゃない」
「お。そういうあんたはいつぞやのクリスマス会で旦那が倒れて駭然しまくってたツンデレ」
「慨然しまくってたツンデレって……意味がわかりそうでわかりたくもない例えね……」
それにあの時はまだ恭介とは告白してないし……と、もにゃもにゃ小声で口籠る杏だったが、河南子の耳には入らない。
実際、彼女達が会うのは二年ほど前のクリスマスパーティー以来であった。
「懐かしいわねー。元気してた?」
「まーそれなりに」
あくまでも知り合いだという程度の間柄。それでも懐かしい相手だということに違いはない。
河南子は思い出の中の杏と目の前にいる杏を照合し合う。というのも感じるところがあったからだ。
……こいつ、なんか大人っぽくなってね? と。
勿論顔の造形が変わったということではない。髪型が変わったという事でもない。
違いは……化粧か。
いやらしさを感じさせないレベルでのファンデと仄かなチーク。
マスカラやアイラインは……着けているような無いような。元々パッチリとした大きな瞳だったしなーと思い出す。
唇には薄いグロス。なんですかそのぷっくり唇は。ちゅー誘ってんのか。してやんぞこら。
とまあ、同性である河南子の目からしても魅力を感じてしまう、ナチュラルメイクなお姉さんになっていた。
しかもそのメイクが申し訳程度の『極みナチュラル』とでも表現すべきか。
「……ずるい」
「ん? どしたの?」
可愛いーじゃねーかちくしょー、という河南子の内心は、包容力の生まれ始めている杏の笑顔の前に霧散するのみであった。
「随分沢山買うんだ」
「まぁねー」
肉。肉。肉。
杏が持つ買物カゴの中身は特売の肉製品で溢れかえっていた。まさにマッスルセンセーションだ。
「おせちの用意やらなにやらは終わったんだけどさ。すき焼きでもしよっか、なんて流れになって」
「で、肉?」
「肉」
んー、この人の旦那さん、あの無茶馬鹿童心スマイルってそんなに肉好きだったっけ?
河南子はカゴの中へと視線を落としつつ、そんな思いにとらわれた。
視線から疑問を察したのか、杏が柔い笑みと共に話し始める。
「これは二人分じゃないのよ。四人分よ四人分」
「四人?」
「そ」
「恭介とあたしと、」
と、杏がすき焼き参加者の名前を挙げだした時だ。
杏が持つ買物カゴの中へ、するりとお菓子の箱が差し込まれた。
すんごい笑顔の子供の絵。
「こぉらっ! 鈴!」
「うにゃあっ!?」
任務完了、後は逃げるのみ! とばかりに背を向けていた少女の首根っこを、杏ががしりと掴み取る。
「そーやって隠れてお菓子入れてもすぐわかるんだからねっ!」
「なんだ杏っ! おーぼーだぞ、おーぼーっ」
「横暴結構。ったく、何度言っても止めないんだからこの子は」
襟元を掴まれた少女……鈴は、自身の策を杏に阻まれたうえに叱られて、みるみるうちにしゅん、と萎んでいく。
くたりと垂れたしっぽと、へんにゃりとした猫耳が見えるかのようだった。
「鈴? こういうときはどうするんだっけ?」
「……うー」
「ん?」
「……これも買いたい」
「ん。良いわよ」
「っ! 良いのかっ!?」
「当たり前でしょ。鈴、好きだもんね、ビ○コ」
「ああ。うまいなこれは。表彰ものだ」
……なんという、淀みのない一連の流れ。
ホームコメディー真っ青なコントを目の当たりにした河南子は、思わず、
「……ママーっ!」
「うひゃあっ!? って、河南子っ!? なにしてんのよっ」
杏の胸元へと飛び込んでいた。
「すっごいママ度だわー、まじで」
「なによそのママ度って……。いいから、はーなーれーろー」
鈴から手を離し、空いたその手で河南子を引き剥がしにかかる。
悪戦苦闘の末、なんとか成功した。
「吸盤でも持ってんのアンタ?」
「どんな生き物だよあたしゃ。……ふぅ。柔らかかった」
ごちそうさま、と満足げな河南子。色々堪能したらしい。
そんな河南子を見て、むぅ、と唸ったのが鈴だった。
「鈴? アンタも知ってるでしょ? 名前憶えてる?」
杏の一声。鈴はしばし沈黙した後、自信満々に答えた。
「かなた」
「『た』じゃねーよっ! あたしゃどこぞのツンデレかっ!」
なんかよく聞く単語ねーと、ツンデレという単語に反応する杏。
「安心しろ。わざとだ」
「無茶苦茶素だったじゃねーか今」
「きなこ」
「どうしてそっちが変わるんだよっ!」
怒号と共に河南子の小さめなツインテールがぶわっと左右に広がる。
「おわっ、凄いなお前のしっぽ」
「嬉しくねーっ!」
結局、店に迷惑でしょという杏の言葉がその場を治めたのだった。
「既に子持ちな貫禄がたっぷりだなーあんた」
「やーね。まだまだピチピチなのに」
スーパーからの帰り道。
ビニール袋、ではなくマイバッグに荷物を入れている三人は、のんびりと夕焼けを背にして歩いていた。
「そうだ。河南子、あんたも来ない?」
「あたし?」
「鷹文くんと一緒にさ」
すき焼きパーティー。……普通に夕食がすき焼きなだけで、どのあたりがパーティーなのかは謎だが。
杏の実家で行われるそのパーティーの参加者は、恭介と杏、理樹と鈴。その四人だった。
杏の両親は年末年始の連休で旅行へと出かけているらしい。妹の椋は彼氏の家でしっぽりしているそうだ。
昨日。杏の家へと訪れた恭介は、久々に杏の父親と対面することもあってか、それなりの緊張感を抱えていた。
意を決して藤林宅の呼び鈴を鳴らした恭介。そして杏の口から語られた両親不在の事実。
『いねえのかよっ!?』
という戦慄きは、数軒先のご近所さんにまで届いたそうな。
その後、なんやかんやのやりとり……という名のいちゃいちゃを終えた恭介達は、どうせなら、と理樹達に連絡をしたそうだ。
理樹達は今、学校のあった町を離れている。
この町の住人、というわけではなかったが、それでも近くに住んでいるということは確かだった。
明けて翌日の今日。理樹達の到着後に夕食はどうしようか、という話になったところで、
『理樹、お前少し痩せてないか?』
と恭介が言い出したのが肉肉すき焼きパーティーへの始まりであった。
そして河南子と出会った買い物へと話が繋がる。
「どう? なんなら泊まりでもいいし」
杏の誘いが続く。
しかし……。
「ありがたいけどパスします」
河南子は少しだけ改まった口調で断りを入れた。
「うち馬鹿も受験で頑張っているし、かといってあたしだけお邪魔するのもあたしが許せないんで」
「……そっか」
「ごめんなさい。でも、ありがとうございます」
気持の良い、逆に応援したくなる拒絶であった。
「気にしないで。じゃあ鷹文くんにもよろしくねー」
「はい。失礼しますね」
「じゃあな。かなこも頑張れ」
「うっせ。お前が頑張れよ」
別れの挨拶と共に道を違えていく杏と鈴。
河南子も二人とは別の道へと足を進め、家にいる鷹文のことを考えた。
──体育教師になるという夢を目指し始めた鷹文。
彼は恩師の教えを受け繋いでいきたいと心に決めた。自身が受け取った代えがたい想いを……次代へと。
葛藤もあった。挫折もあった。諦観もあった。
それでも彼は今、前へ進もうとしている。
そんな彼を……鷹文を支えていきたいな、と。
河南子はそんな漠然とした想いを込めて、その日の夕食を作るのだった。