「どーすんのさ」
「ここまで馬鹿だとはな」
「やっちまったな」
「あーあ」
「馬鹿だねぇ。ま、僕の知ったことじゃないけどね」
罵倒の言葉が次々と浴びせられていた。
理樹は焦り気味に。謙吾は呆れながら。恭介はこの時を予想していたかのように。
朋也はじと目で。春原は頭の後ろで手を組んで。
「いや……え……? やっちまったのか俺?」
心の内では把握できている筈なのに頭の中では理解出来ていない男、井ノ原真人に対して。
真人を囲む男集団が深い溜息を吐き出す。どよーんと濁った空気と共に。
部屋に戻った秋生が見た光景はなんとも筆舌にし難い状況であった。
部屋の中心にいるのは、叫ぶだけ叫び、それでも全身の力が抜けていないクドリャフカ。今にも噛みつきそうな勢いだ。
彼女の背後に半円となって控えているのは女性陣。揃いも揃って『うわ、駄目だあの男』という視線を真人に向けている。
男性陣が固まっているのは彼女達から少し離れた場所だ。
いや、固まっていたというよりも、囲っている、というのが正しい表現か。真人捕獲完了な感じである。
実際真人は恭介に襟首を掴まれたままの大勢で尻餅をついている。
秋生達が部屋に入ると同時に、クドリャフカの眼前にいた真人を恭介達が強引に連れ戻していたのだ。
「なんだこりゃ?」
「……さぁ? どうしたんでしょうね」
秋生が額に手を当てて疑問を口にするも、傍に控えた早苗にも答えようはなかった。
「早苗。お前はあっちを頼んだ」
そう言うと秋生は男達が作っている囲いへと足を向けた。
対して早苗は秋生とは別の場所、女性陣の集団へと歩み寄る。
偶然か必然か。
これによりこの部屋の内部では、男性陣と女性陣という完全に二つのグループが出来上がった。
ある意味とても清々しい。
「どーすんのさ真人。クド、あれ本気で怒ってるよ?」
「んなこと言われてもなぁ」
理樹の注意も完全に後の祭り。
真人が見た男壁越しのクドリャフカは怒り心頭な表情であった。
……本当のところは怒りよりもやり切れなさや悔しさが大部分を占めていたのだが、真人に判断が出来るわけもなく。
「本気でデリカシーの無い奴だよねお前って」
「んだよ。ならお前ならなんて言うんだよ」
「僕? いやいや、今は僕の事より彼女をどうにかした方がいいんじゃないの?」
春原の軽口にさえぐうの音が出ないという、底辺どん底最下層具合を満喫してしまっている真人であった。
「ガキ共。俺様にもわかるように説明しやがれ。……何があった?」
「オッサン……。実はな──」
朋也の口から原因と経過が語られる。
それは朋也ですら口が重くなるような内容で……。
「お前、凄ぇな」
「マジ? そんなに俺って凄ぇのか……? ってそんな憐みの視線で言われても嬉しくねぇっ」
忌憚のない感想を告げる秋生と無駄に悶える真人。
事実は奇なりとはいえ、確かに衝撃的な内容であった。
むしろこの男が衝撃的過ぎる。どこまで筋肉なのか、この男の思考は。
秋生ですらそう思えてしまう現実だ。直接相手をさせられたクドリャフカの心境はどれほどのものなのだろう。
「真人はもっと女の子を大切にしないと駄目なんだよきっと」
「お前がそれを言うかそれを」
肩の力を抜きつつ言葉を漏らした理樹。そんな理樹へとつっこんだのは昼間の状況が記憶に新しい朋也であった。
昼間、そう、二人の女性に引きずりまわされていた光景。
確かに三人揃って楽しそうではあったが、別の視点からすれば……。
「どっちつかずでふらふらしているお前だって、こいつとは違う意味で女を悲しませてるんじゃないのか?」
「僕?」
「違うか?」
今の問題とは別物だとはいえ、それはそれで朋也が気にしていた件でもあった。
他人の恋愛事情に好き好んで口を挟むのは彼の趣味ではない。だが、それでも気になってしまうのだ。
この気持ちは理樹達リトルバスターズの面々が気に入っているからなのか。
それとも彼自身が変わってきているからなのか。
どちらにせよ──今言うべきタイミングではないにしろ──、朋也が理樹に伝えておきたかったことだけは確かであった。
鈴とあや。彼女達を含めた関係を。
「いやいやいや。違いますよ朋也さん」
「は?」
しかし、当人である理樹はあははと一蹴。
「だって僕は鈴と付き合っていますし」
……。何でもない事のように、何を気負うわけでもなく、理樹はそう言い切った。
瞬間、朋也の思考が停止する。
待て。待て待て待て。
「そうだったのかお前っ!?」
「それよりも今は真人の事ですよ。どうしよう……」
それよりもってお前、なら朱鷺戸のあの対応っていうかそれを許容している棗妹の行動は一体、っていつの間にお前ら……。
理樹に聞きたいことは山のようにあった。
それなのに理樹は既に思考を真人に切り替えてしまっている。
ある意味生殺しな朋也であった。
「……再挑戦、あるのみだ」
一つの提案に全員の視線が集中する。
ぼそりと呟いたのは謙吾だ。彼は顎に手を当てながら、俯き気味だった顔を正面に向ける。
周囲にいる全員の顔を確かめた後、最後に真人の眼を直視して同じ言葉を繰り返す。
「再挑戦だ、真人。諦めずに何度でも」
「そ、そうは言ってもよ」
「お前はこのまま諦めてもいいのか? それで満足なのか?」
正論。だからこそ純粋に響いた。
これで満足なのか、と。
満足である筈はない。少なくとも真人にとって許容できる結果である筈はない。
もう一度。今度こそ。
真人の心に決意の炎が灯ったのは、不思議でもなんでもない当たり前の展開であった。
「うっし。もいっちょやってみるか!」
立ち上がれ。真人よ。
畳を踏みしめ、今一度彼女の元へと赴くのだ。
真人を焚きつけた謙吾の胸には演出過剰なモノローグが飛来していた。
ヘンなスイッチ入っただけじゃないのかこいつ。
謙吾をそう評価したのは果たして誰であったか。
不敵な笑みを浮かばせる真人、その後ろ姿を満足そうに見送る謙吾。
既に第二ラウンドは開始されてしまっているのが取り返しの無い事実であった。