「……いや、まあ。あの三人は相変わらずですね姉御」

「胸焼けかね葉留佳君? なるほど。君の言いたいことは分からないでもないが、口に出すのも無粋だろう」

 

 理樹達の様子を見にきた葉留佳と来ヶ谷は海に入って戯れている三人の姿を眺めていた。

 中心にいるのは理樹だ。

 あどけない顔。小柄な体躯。

 中性的な、というよりも女性側に傾いているかのように錯覚させるその体つきは、夏に輝く海水をも弾いているようで。

 しかし彼はあくまでも男性だ。似合う似合わない以前に、彼はしっかりと男性用の水着を着ている。

 シンプルなグレーの迷彩柄をしたハーフパンツ。

 その水着を着用している彼は普段の姿と一転して男性的な側面を全身で表わしていた。

 今も左右の腕を二人の女性に引っ張られてはいるが彼女らや波に翻弄されていたりはしない。

 優しげでいて、どこか頼りなくて。けれどそのイメージを覆すほどの強靭さを持った人間性。

 それが彼、直枝理樹だった。

 きっと彼は彼女達と楽しんでいる今この時も彼女達を気遣っているのだろう。

 何故かそんな気がした来ヶ谷だった。

 

「だがな、だからこそいいのだよ」

「姉御?」

「いくら成長したといっても根本は理樹君だ。強く、頼れるのだとしても……」

「しても?」

「例えば私が彼の胸板を指先でつん、と突いてみたとしよう。すると彼は顔を赤らめて『くっ来ヶ谷さん!?』と慌てふためくはずだ。瞳を潤ませてだぞ? 堪らない。なんて堪らないんだ理樹君は。更にその突いた指がピンポイントで彼の双頭部位をクリックしたとしたらどうなるだろう? 可愛らしい声をあげてしまったりするのだろうか。いや、きっとそうだ。あの理樹君がだ。なんということだ。もしも『きゃあっ!』なんて乙女ちっくな悲鳴をあげたとしたら、おねーさんは我慢できる自信などないぞ?」

「……もしもーし。むっちゃ息が荒いんですがダイジョブですかー?」

 

 自分の妄想に陶酔しているのか。来ヶ谷の笑みは艶々としている。

 葉留佳の声は耳に届いていないのだろう。

 いただきます、と小さく呟いた来ヶ谷は葉留佳の目に残像を残し、理樹達の元へと縮地の極意を行使していった。

CLANALI-AFTER STORY  第十八話

「だからはっきりしろ理樹。どっちだ?」

「いや。鈴、だからね? そんな事で張り合っても優劣なんて……」

「そんな曖昧な答えは求めてないの! あたしと鈴。どちらかの名前を言いなさい!」

「と、朱鷺戸さんも落ち着いて、ね? それに顔が真っ赤だよ?」

 

 どっちの水着姿にどきどきしてるのか。

 それが彼女達が理樹に問いただしている問題だった。

 回答の義務を強制されている理樹はなんと答えれば良いのやら四苦八苦している。

 明確な答えを口にしたらしたで新たな火種が燻り出す事など請け合いだ。

 

 彼女達、鈴とあやは顔を合わせる度にどうしようもない事で競い合っていた。

 どっちが強いか、どっちが偉いか。どっちが魅力的か、どっちが秀でているか。

 と言っても白黒つける方法は至って彼女達らしいのだが。

 新聞紙ブレード対銀玉鉄砲バトル。偉そうな名前の連想勝負。某不二子のものまね対決。そして理樹笑わせ大会など。

 結局のところ、そういったレベルでの好敵手となっていたのだった。

 対決の根源的な理由は理樹のパートナー争いのはずなのだが、場合によってはその理樹を蚊帳の外に置くことすらある。

 なんだかんだ言っても両者ともウマが合うのだろう。

 その姿は……あたかも、古くからの友人同士だったかのように。

 いい意味でも悪い意味でも、理樹を交えたこの二人の関係は周囲の仲間達にとって当り前の光景となっていた。

 

「ど、どきどきするかって言われても……」

 

 理樹は鈴の姿を改めて注視した。

 彼女の代名詞ともいえるポニーテール。しっぽとも言い換えられるその長い髪が、海水を含んでしっとりと揺れている。

 そして見事な融合を果たしているのはライトグレーの水着だ。

 体の要所要所を隠しているそのビキニとブラウン掛かった彼女の髪の毛は、とある生き物を思い描かせる。

 懐っこいけど気難しいアメリカンショートヘアー。

 彼女を見るとそんな猫を幻視するようだった。

 またその猫は健康的な体躯をしていた。スリムでありながら女性的な丸みを帯びているアメショ鈴。

 ずっと昔から一緒だった幼馴染も、しっかりと女性として成長していて……。

 無意識に視線が『女性らしさ』を生み出している部分で固定されてしまう。

 

「あ、あんまり……えちぃ目で見るな……理樹」

「ご、ごめ……っ」

 

 はにかんだ顔で理樹を見るその目は、文句を言いつつもどこか嬉しそうで。

 大きな丸い瞳が上目遣いで理樹の心を掻き乱していた。

 

「あ、あはは……」

 

 困ったようで困っていない理樹は、逃げ場を求めるように視線を移した。

 反対側で、むーと頬を膨らませているあやの元へと。

 理樹の視界に飛び込んできたのは、夏の日差しを反射する鮮やかなイエローだった。

 白と黄色のギンガムチェック。彼女の明るさと社交性、そして隠しきれない活発さを見事に増幅させているビキニだ。

 夏少女という職種があったとしたなら、彼女こそがその道のプロフェッショナルなのだろう。

 均整の整った同姓でも羨むスタイル。向日葵を彷彿とさせる彼女の雰囲気。どこまでも動き回る体躯。

 理樹の視線を感じ取ったその向日葵が、膨らんでいた頬に紅の兆しを生み出した。

 

「や……や……や……」

「や?」

「やらしい目で人の体を舐めまわすなんて理樹くんのばかばかばかばかんがっ!」

「え? ばかんが?」

「噛んだだけよっ! ばかーっ!」

 

 がーっと吠えた彼女は全身を逆立てる勢いで威嚇していた。

 そう見てもらえるように自分から振っておいて、それでいて恥ずかしがって。

 彼女はどこまでも少女だった。

 

「……どうしようかなぁ。なんとかいい手だては……」

 

 と、理樹が現状からの脱却手段を求めようとしたその時だった。

 

「理樹くん逃げてーっ!」

「っ!? 葉留佳さんっ!?」

 

 後方から届いたその叫び声は葉留佳の声。切羽詰まった本気の声色だ。

 何事かと振り返った理樹が見たものは、恍惚の表情を浮かべて迫りくる来ヶ谷の姿だった。

 

「来ヶ谷さんっ!? 危ない! ぶつかるよっ!」

「ふははははっ! 少年のチェリーボイスは私が貰ったっ!」

「意味分かんないよっ!」

 

 来ヶ谷は理樹の異議申し立てを受け流し、風を切って、飛沫を上げて、波を追い越して。

 己の願望を体現するただその一心。一直線に理樹へと突き進むその姿は一筋の矢だった。

 

「おねーさんの眼前で敏感に悶えるがいい!」

「ホント何事なのさっ!?」

「理樹っ!?」

「理樹くんっ!?」

 

 どばーん、と。

 理樹を庇おうとした二人の少女をも巻き込んで、縺れ合った四人は波飛沫を立てて水中へと没していった。

 天地を失った波間の四人は、まさしくしっちゃかめっちゃかな一瞬を味わっていた。

 ともあれ腰程度の高さしかない深度だ。一人、二人と立ち上がっていく。

 

「な、なんだったのよもう……」

「しょっぱい……。へんにゃりするぞ……」

 

 最初に姿を見せたのはあやと鈴だ。二人とも両の眼をしぱしぱさせている。

 

「お、おねーさんとしたことが……。くっ、流石に沁みるな」

 

 続いて立ち上がった来ヶ谷も顔に滴っている海水を拭いだした。

 そして理樹も海面から顔を上げて息を吐き出す。

 沈んでから浮かび上がり全員の視力が回復するまで。それまでの時間はほんの僅かだった。

 その、僅かな時間で。

 全てが起こり、そして終わっていた。

 

「ふあ……っ。もう来ヶ谷さん? あんまり無茶な事……」

 

 ぷるぷると顔を振っていた理樹は、言葉の途中で絶句した。

 ほぼ同じタイミングで残りの三人の時間も固まる。

 理樹の視線は三人に満遍なく注がれていた。不可抗力だよ、と。後に彼は謝りつつもそう言うことになるのだが。

 女性三人は、理樹の腰回りに漂流している……自分の水着と同じ色をした布きれを見ていた。

 それらは、どう見ても、水着のトップ部分で……。

 水中で縺れ合って、互いにどこかを掴み合って、漂っているあの部分が外れて。

 

 と、いうことは。

 

 

 

 

 

 

「やはー。まるで何かの漫画みたい」

 

 遠巻きに一連の出来事を見ていた私の元に、鈴ちゃん達の声ならぬ声が届いてきた。

 神がかり的なハプニング。あの場に自分がいれなかった事は安堵でもありほの寂しくもあり。

 それでも貴重な体験ですよこれは。あの姉御が、あんなにも乙女ちっくな声を上げるとは。

 

「姉御ってば。普段はかっこいいくせに……可愛いですネっ」

 

 抑えきれない微笑みが浮かんできてしまう。

 ややや。それどころじゃないか今は。よしっ。それじゃあはるちんも行きますか!

 首まで海に潜って上半身を隠してる三人を救助しに。

 周囲に他人の姿がないのは不幸中の幸いですネ。理樹くんはともかく、他の人には絶対に見せられないし。

 

「こらーっ! 理樹くんはあっちむけーっ! はるちんも混ぜろーっ、じゃなくてお任せをーっ!」

 

 

 

 そして葉留佳はその輪に向かって走り出していった。

 

 眩しいほどに、どこまでも夏だった。

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