これが夢見たブリリアントか。

 春原の脳内幸せ指数は有頂天に向かって第一宇宙速度を突破していた。

 粒揃いの女性陣は、恰も広大な宇宙において青く輝く地球のようだった。

 君がこの星なのだとしたら僕は近くて遠い儚き月だ。

 いくら望もうとも、僕はけして君達には手を出せない。

 ただ、その傍を廻るだけなんだ……。

 

「んーっ。僕ってばロマンチストぉっ!」

 

 くねくねと身を捩る春原。その姿は軟体動物を連想させる勢いだ。

 

「だがしかーしっ! このままトリップしてなんかいられないよね!」

 

 雄叫びをあげ、瞬時にシリアス……っぽい面構えに切り替えた。

 妄想すべきタイミングではないのだ。

 勘違いしてはいけない。ここは夏の浜辺に降臨した理想郷をその目に焼き付ける時なのだ。

 

「おにいちゃん、おにいちゃんってば」

 

 真横から聞こえる声も何の其の。

 今の春原を止めることは何人足りとも出来はしなかった。

 というよりは関わりたくなかった。

 むしろ肖像権の侵害だった。

CLANALI-AFTER STORY  第十七話

 ことみちゃんの、アップルパイ。

 いや、別に食事風景を言い表しているのではないのだ。

 眼前の光景を視神経が認識した瞬間、右脳左脳関係なくこの単語が埋め尽くしたのだ。

 身長に対し、反逆するかのような発育を魅せる部分部分の凹凸。

 その自然発生した芸術品をデコレートしているのは、アメリカ西海岸が原産地かと思わせる深紅のビキニだった。

 余すことなく原色で彩られたその水着は、内容物の形状も相まって、大きな大きな焼き林檎を連想させる。

 A big big baked apple.

 これは楽しく学べる英単語教室なのか。少なくとも春原の思考はインチキ英語でイラプション中だ。

 視線の先にいることみはというと、その様な事を思われてる等とは想像もしておらず無邪気な笑顔を浮かべている。

 そのアンバランスさが、まったくもってけしからん。

 春原の鼻息が一際荒くなった。

 

 

 

 ホントにあいつは年下なのか。

 身を呈してことみへの視線を遮ったのは、魅惑の黒。デザインを加えた競泳水着のような装いをした智代だった。

 しかし、ただ単に黒一色だというわけではなく、全体的に波打つようなグラデーションが入っている。

 形はスリムなワンピースなのだが、気を引かれるのは胸元から腹部へかけてのファスナーだ。

 その心持ち無骨っぽい印象を与える大きめなファスナーが、純粋な競泳用水着なのではないと裏付けている。

 問題は、だ。ファスナーの取手部分、所謂引き手金具だ。

 胸元に備え付けられているその部品は、智代が動く度に前後に揺れ動いている。

 ここで考えてもらいたい。例えるなら長めのネックレスでもいいだろう。そんなものが『前後に』動くだろうか?

 動く筈はない。普通ではありえない運動エネルギーだ。しかし、実際に揺れているのだ。智代の胸元では。

 そう、胸元にあるその装飾物は、彼女が誇る胸部の高低差によって物理学を無視した動きを見せているのだ。

 けしからん。迸るほどけしからん。

 春原の鼻息が、また一段と荒くなった。

 

 

 

 おにいちゃんっ! こっちも見てよ! と。

 両手で顔を掴まれて強引に視線を変えさせられた先には、春原の妹、芽衣の姿があった。

 自分の相手をしてもらいたがっている膨れっ面な少女は、オレンジが眩しい幾何学花柄のタンキニだった。

 おへそまで隠れるロングなトップには南国の花が咲き、ボトムには幼く見せない程度のスカートが付いている。

 年相応の体つきに似合ってはいるが、少しばかり背伸びした初々しさが危なっかしい。

 その感想はあくまでも捻くれ兄妹愛が導き出したものであり、女性陣からの評判はとても高いというのが微笑ましい。

 結局春原はそんな妹の格好に可愛らしさは感じたものの、実際に口に出した感想は素っ気ない一言だけだった。

 だというのに芽衣の反応は上々だ。いしし、と笑う芽衣には春原の本音などお見通しだった。

 芽衣の水着に視線を合わせず、他の女性を見るわけでもなく。

 ぶっきら棒に「似合ってんじゃねーの? ……まぁ、あんま遠くに行くなよ」なんて言うところが春原らしいのだが。

 その言葉に満足したのか、芽衣は早苗の元へと駆け出して行った。

 春原の鼻から今までとは違った意味での鼻息が、ふんっ、と鳴った。

 

 

 

 芽衣が駆けて行った先には、早苗がいる。

 彼女の姿を確認したのは遠目でちらりと一瞥しただけだ。

 ここは深呼吸が求められている。吸って、吸って、吐いてー。吸って、吸って、吐いてー。

 テンションをフラットに戻す。

 それだけの準備が必要だった。一年前には偽彼女騒動があったが、やはり春原にとって早苗とは幻想の人だった。

 人妻? いえ、彼女は早苗さんです。

 渚の母親? いえ、彼女は早苗さんです。

 早苗さんとは何か? はい、早苗さんは早苗さんなのです。

 色々と終わってる。

 自己問答を終えた春原は、一歩、また一歩と足を踏み出していく。

 女神の袂へと、立ち止まらずに。

 人類にとっては心底どうでもいい一歩だが、春原にとっては偉大な一歩なのだった。

 

 

 

 自然と視線が下がっていた。

 ……辿り着いた。一直線に歩いてきた彼の足跡は、さながら一筋の轍で。

 彼の胸にわだかまるのは僅かな逡巡。

 このまま一息で顔を上げるなんて事は、許されざる愚行だ。

 少しずつ。そう、少しずつ顔を上げていこう。

 さもないと何かが噴出するだろう。主に鼻から。赤い何かが。

 

 最初に視界に入ったのは足だった。

 スリムだと決めつけていた脚線美は、想像よりも肉感的で。

 可愛らしい膝小僧は、やんちゃな一面を覗かせていて。

 張りのある太腿は、惹きつける息吹を生み出していて。

 

 更に視線を上げていった春原の瞳孔が、きゅっと広がる。

 情熱の、赫。水着のボトムは、恋い焦がれる赤が鎮座していた。

 両の鼻穴からスチームが広がる。

 赤の上部には小さい臍が、ぽつんと寂しそうに座っている。

 でも、寂しがることはない。何故ならば、その周りには薄らと割れた腹筋が守っているのだから。

 想像以上に身体を鍛えているようだった。

 

 お腹の筋肉に別れを告げ、ついに上半身へと到達する。

 瞬間、鼻から噴き出していたスチームが水蒸気爆発を起こした。

 水着のトップが……存在していないっ!

 トップレス。トップレス? トップレス!

 神は舞い降りた。

 し、仕方ないよね? ないものはないんだ。だから、み、見ちゃっても、仕方ないよね?

 春原の勇気が、全てを超越した。

 そして出会ったのだ。

 大胸筋に。

 引き締まった、大胸筋に。

 

「おう小僧。そんなに熱く見んじゃねえよ。流石の俺様でも照れるじゃねえか」

「……はい?」

 

 終着点には、サングラスがあった。

 秋生お気に入りのサングラスが。

 簡潔に言うと、秋生の顔が。

 

「んじゃあご要望にお応えしますか!」

「ひいっ!?」

 

 雄々しく猛々しい腕が春原の首元に回された。

 そのまま秋生の手によって波打ち際まで引きずられていく春原。

 

「がっつり泳げばお前だって鍛えられるぜっ!」

「そんなこと一言も言ってないですーっ!」

 

 少しずつ遠ざかっていく桃源郷。その片隅に早苗の姿があった。

 広げたシートの上に、ぺたんと座って。

 ……薄手のパーカーを羽織って。

 

「秋生さんも春原さんも、頑張ってくださいねーっ」

「せめてっ、せめてその上着だけでも取って……っ!」

「っしゃー! いくぜ小僧っ!」

「ぼがぶごぼげぇっ!」

 

 秋生と共に波の向こうへと消えていく春原だった。

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