「ほう……。これはこれは……」
それはからかいの一言だった。
声を発した来ヶ谷の瞳は、身を固くした謙吾の姿をロックオンしている。
その眼差しはいやらしくもあり、嗜虐的でもあった。
対照的にそわそわと落ち着かないのは自信を持てない読書娘と土壇場照れ娘の二人だった。
「……あの。順調な発育を辿った胸が、私の背中をもねもねしているのですが。それは私への挑戦でしょうか?」
「そ、そんなことないやい。はるちんはみおっちを盾になんかしてないのですヨ」
既に会話ですらない。
葉留佳は周囲の目を気にして西園に抱きついているだけであり、西園的には背の感触自体が敵対国そのものだった。
男性陣の視線が乙女達に注がれる。
露骨に値踏みする者、気づかれないように視線を流す者。
多種多様な思惑が混線しているのだが、所詮は青き男子達だ。
彼らの意図や目論見は、己への視線に敏感な『おんなのこ』達にしてみれば、意識せずともばればれなのだ。
「どうだ少年。眼福だろう」
それを意識している上で攻め手に回るのが来ヶ谷だ。にやにやとした笑みを浮かべながらの先制攻撃。
その身体を惜しげもなく強調しつつ。
あえて、惜しげもなく。
むしろ、惜しげもなく。
道と欲の葛藤を繰り広げている謙吾の姿は、正に不審人物だった。
俺はどこを見ればいい? 男性として彼女達の姿に喜べばいいのか。それとも無我の極みを悟るべきなのか。
おそらくそんなところだろう。今の謙吾の心情は。
彼の反応と彼の性格を考慮すれば、彼に渦巻く現在の思考など簡単に推測できる。悩むといい、青少年。
さてその謙吾だが。悩みを抱える姿は少し置いておくとして、彼が持つ健康的な肉体には目を惹かれる。
泳ぐ気満々。俺に不純物など必要ないわ、と周囲へ語りかける彼の水着はシンプルな競泳水着だ。
機能美こそ究極。スリムな黒い競泳水着は水の抵抗を殆ど受けることはないだろう。
もとより彼は背が高い。それでいて実践的な肉付きをしている筋肉が威厳溢れる風体を作り出している。
汗と砂を自然なデコレーションとして、野性味を隠し味にしているのも侮れない。
テンションによっては馬鹿まっしぐらな彼だが基本的には紳士である。
実力を伴う実直な紳士。そんな彼が夏空の下、鍛え抜かれた肉体を曝け出している。
これはこれで男らしい。
ところどころに付着している貝殻やわかめといった海の幸によって、全てが台無しになってはいるが。
その隣で女性陣の脳内査定をしているのは春原だ。
以前の金髪を黒髪へと直した彼。謙吾らに比べれば身長こそ及ばないものの、スタイル的には申し分ない。
自然な状態に戻った髪は本来の艶を取り戻し、そよぐ程度の風を浴びただけで流水のような動きを見せる。
どこか悪戯小僧を匂わせる子供っぽい顔つきが真赤なビキニパンツと相克し、微笑ましい駄目さを加速していく。
しかもその水着はサイズが小さいのだろう。
ぴちぴちだった。部分的にも。教科書の手本となるほどぴちぴちだった。
その事実に本人が気づいていないというのが問題だ。
むしろ危険だ。不慮の事故が起こり得るかもしれない。
零れてしまってこんにちわ的な意味でも。部分変化だ何故か前屈み的な意味でも。
それでもそこそこ引き締まった体は見栄えが悪いということもなく。
期待と恐怖を同時に内包したデンジャラスタイムが一日続くのだ。
渚の前で見せている強く、儚く、幼さを隠しきった笑顔。
いつからだろう。朋也がこの顔を見せるようになったのは。
愛する者を守ること。その日々が彼を強くしていく。けして、失ってたまるものか、と。
この表現は内面の強さなだけではない。新しい仕事に就いたからか、体つきも変わっていた。
日々繰り返される仕事によって培われてきた実務的な筋肉は彼の勲章だ。
かつてスポーツの雄であった名残か、彼の肉体に無駄な箇所は一切見受けられない。
何の変哲もない紺色をしたトランクスタイプの水着が野暮ったく見えないのがその証明だった。
質素だが映えないわけでもない。簡素だが無駄というわけでもない。
男らしく、また、信頼を集める存在だった。
それが今の朋也の姿だ。
信頼を集めると言ったら彼を見ないわけにはいかない。
笑顔が咲いていた。
友情、愛情。今を楽しみこれからを期待する。皆を愛し、たった一人を愛する男。
恭介は恋人の隣に佇み、それでいて全体を見ているかのような雰囲気だった。
ハーフパンツの水着はTシャツでも羽織ればそのまま街中へ出ても違和感がない。
彼の子供心を体現したその水着には、アメリカナイズされたコミックキャラクターが印刷されている。
端正な顔を持ち、引き締まった体を備え、どこかおどけた水着を着こなしている恭介。
彼がナンパでもしようものならそれなりの成功率を誇るのかもしれない。
だが、彼自身そんなことに興味は持たないだろうし、隣の女性がどう動くか予想できないわけでもない。
それよりもその先、ナンパをする姿よりも子供と一緒に遊ぶ姿が目に浮かぶ。
子供に甘く、妻には違った意味で甘く。
子供よりも子供らしく、遊びという教育を家族全員で一緒に行っていく。
そんな未来が。
そしてこれだ。
クドリャフカを独り占めしている大罪人が真人だ。
顔に視線を向けると首回りの筋肉が目に入る。全体像を俯瞰すると全身の筋肉が目に入る。
真人引く筋肉という式の解はなんなのだろうか。
答えは簡単。彼が履いている学校指定水着だ。
ものぐさなのか興味がないのか。真人は体育の授業で使用している水着を持ってきていた。
確かに彼らしい。水着等といった瑣末ごとに気を取られないのが彼を彼たる男にしている所以だ。
だが、このようなことが許されるだろうか。
学校指定水着を着ているのが、何故、彼の隣で笑顔を浮かべているクドリャフカではないのか。
クドリャフカ足す学校指定水着という全世界共通課題をこのような形で終えることになるとは。
これは罠か。罠なのか。理性では理解しているが、見せつけられた筋肉は心底憎たらしかった。
「ええい。忌々しい」
「姉御、姉御? さっきから独り言が全部聞こえてくるのですが」
来ヶ谷の独壇場を遮ったのは葉留佳の冷や汗が込められたつっこみだった。
「口直しだ葉留佳君。そろそろメインディッシュへと移ろうではないか」
「ほへ? めいんでぃっしゅ?」
「くんずほぐれつしている三人に決まっているだろう」
「……あー、理樹くんに鈴ちゃん、朱鷺戸っちですネ」
「舐めまわすように堪能しようではないか。愛でる。そう宣言しよう」
逃げてー。理樹くんたち早く逃げてー。
葉留佳の声にならない叫びは当然の如く彼らには届かないわけで。
来ヶ谷の一歩は、もはや誰にも止められなかった。