今、この場所に、目を奪われた。

 頭上から降り注ぐのは熱そのものかと思える日差し。

 足元を包むのは焼けた砂。

 肌にまとわりつくような潮っ気を含んだ風は、それでいて不快ではなくて。

 眼前に広がる広大な青。

 空と水、そのどちらもがどこまでも青だった。

 だからその風景は、見間違えることもなく、まさに夏そのもので。

 

 一歩ずつ足を踏み出す。

 上半身裸なその男は厳かに、でも何かを堪えるように歩み続ける。

 そして辿り着いた。

 夏を感じ取る全身のうち、ただ一点だけに冷たさが浸みこんでくる。

 彼の足の指先には、和やかな波が届いていた。

 それが限界だったのだろう。

 溜めに溜めた感情がその一瞬で解放された。

 

「うーーみーーだーーっ! いやっほーーうっ!!」

 

 秋生の叫びは、一点の曇りもない真実だった。

CLANALI-AFTER STORY  第十四話

「凄い。正に海水浴日和だね」

「日頃の行いが良かったってことさ」

 

 秋生の背後で理樹と恭介が目を細める。

 自己主張の塊な日差しをかざした手で遮ってはいるものの、二人に浮かんでいるのは笑顔だった。

 

 彼らの背後からは、更に数名の声が聞こえてくる。いずれも男性の声だ。

 既にテンションがトップギアに入っている謙吾の童心に帰った笑い声。

 久々に顔を合わせた友人とじゃれあっている真人の声。

 どこまでも筋肉なじゃれあいを強要させられている春原の迷惑そうな楽しげな声。

 車の中では愚痴を零していたくせに、今では少年のような瞳で辺りを見渡している朋也の感嘆の声。

 誰もが青年で、誰もが少年で。

 そして誰もが水着姿だった。

 

「俺は帰って来たぞぉーー!」

 

 潮騒を肌で感じ我慢の限界を迎えたのか、声高らかに母なる海へとその身を委ねようとする謙吾。

 ちなみにこの海水浴場へ来たのは始めてなのだが。

 海から生れたという生命の記憶が遺伝子にでも刻みつけられているのだろうか。

 鬼気迫る彼の表情は、笑顔のはずなのに真剣そのものだった。

 だがそんな彼に迫る影がひとつ。

 

「させるかぁっ!」

「ぐあっ!?」

 

 真横から腰の入ったタックルを受け、謙吾とその影は砂浜に倒れこんだ。

 主に頭から。盛大に。

 

「「熱っ! 熱っ!」」

 

 二人揃ってのた打ち回る。

 

「うわぁ……。鉄板の上で跳ねまわる海老みたいだね」

 

 冷静とも冷淡とも受け取れるつっこみを入れる理樹。

 近頃の理樹は、いい具合に仲間を突き放す方法を会得していた。

 溢れすぎた友情が生み出した成長でもある。

 

「阿呆か! 焼けるかと思ったぞっ!」

 

 立ち直った謙吾が体当たり犯人に向って声を荒げる。

 その犯人である恭介は、反論をするどころか砂まみれになった謙吾を指差し、

 

「砂坊主だ! 妖怪砂坊主がでたぞー!」

 

 と、どこまでも煽り倒す。

 そしてその流れを無駄にしないのが朋也だった。

 

「全員! 砂坊主を退治しろーっ!」

「「「おおーっ!」」」

「待てお前ら! 多勢に無勢とは卑怯な……っ!? 熱っ!? 冷っ!?」

 

 熱せられた貝殻やら打ち上げられた海草を投げ付けられ、妖怪砂坊主は呆気なく撃沈される。

 テンションも流れも展開も、本当に無茶苦茶だった。

 それもまた夏の魔力か。

 

 

 

 

 

 

「なんで俺だけが悪者になるんだ……」

「先走って泳ごうとするからだ」

 

 一息ついた彼らは謙吾の体を覆っている海産物を取り除いていた。

 

「棗の意見ももっともだね。宮沢さぁ、海に来たんだよ? 僕達は」

「……? だから泳ぐのだろう?」

 

 謙吾の答えに失望したのか、春原はちっちっちと人差し指を左右に振り、鼻の下を伸ばして言った。

 

「海だよ海。解放感溢れる瑞々しい姿! 最初はその芸術を愛でてからじゃないと話にならないだろ!」

 

 それにそうしないほうが逆に失礼に値するからね、と。

 そんな春原の力説に頷きを返すのは秋生だけではなかった。

 流石に理樹は苦笑いを浮かべ、真人は内容を理解しているのかわからないガッツポーズをしているのだが……。

 恭介と朋也に至ってはうんうんと首肯していた。

 互いに思い描く女性の姿があるからだ。

 

「だから、僕はっ! 隅々まで鑑賞するのさ!」

 

 それは宣言だった。

 春原陽平。今ここに、彼の魂は言霊となって現世に姿を現した。

 

「お兄ちゃんっ! もうっ! また恥ずかしいこと叫んでっ」

「うわっ!?」

 

 次の瞬間、その魂が萎んでいく。

 春原の背に投げかけられた言葉には、兄の立場を霧散させるだけの力が込められていた。

 彼女、春原芽衣の言葉には。

 

 

 男性陣の視線がこの世の春を謳歌する。

 そう、この時が来たのだ。

 幼さを残す彼女の周囲には華が咲いていた。

 

 豊満な艶が。健康的な美が。知的な細身が。あどけない可愛らしさが。

 羞恥と自信が。鮮やかな柄と清楚な白が。

 切なさを漂わせる幼さが。完敗であり乾杯だと唸らせる豊穣が。

 

 

 

「「ほう……。これはこれは……」」

 

 その言葉は同時に零れていた。

 ある男性とある女性が口にした一言は、奇しくも異口同音な響きであった。

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