翌日。

 古河家の台所からは姦しくも愉しげな声が溢れていた。

 

「うわ、美味しっ。早苗さん、この出汁ってホントに鰹だけなんですか?」

「本当ですよ。ただ少しだけコツがありまして……」

「お母さん。卵さんが見当たらないんですが……」

 

 杏と古河母娘の三人が朝食を作っている。

 さして広くはないスペースなのだが、それでも彼女たちはスムーズに調理を行っている。

 途中途中、渚と杏は早苗による一言アドバイスを受け、その手解きを真剣に取得していた。

 流し台の正面にある小窓からは暖かな日差しが差し込んでいる。

 今日も一日、天気は良さそうだ。

 

「目玉焼きに添えるウインナーはタコさんにしましょうね」

「ええっ!? 早苗さん、それはちょっと恥ずかしいんですけど……」

「杏ちゃん布巾を取ってもらえますか? テーブルを拭いてきますっ」

「っと、はい渚。お願いね」

「はいっ」

 

 そのまま渚はトタトタと居間へ歩いて行った。

 杏がその後ろ姿に向っておまけの言葉を投げかける。

 若干ぶっきらぼうに。

 

「渚? ついでにそこにいるだらしない奴らの目を覚ましておいてくれるー?」

CLANALI-AFTER STORY  第十三話

「眠ぃ……」

 

 朋也から呻き声が零れた。

 居間のテーブルに座ったまま朋也は舟を漕いでいた。前後左右にふらふらと頭が揺れている。

 その横では恭介が大の字に転がっていた。まぶたは薄っすらとしか開いておらず、視点も定まってはいないようだ。

 昨夜、深夜の男密会が終わる頃のこと。

 再び自分の彼女自慢を始めた彼らは、酒が抜けきっていないということも後押ししてか妙なテンションだった。

 全員中庭に降り、派手なボディーランゲージを繰り広げていた。

 声を張り上げ御馳走様としか言いようのない話を繰り広げていた野郎三人。

 そんな彼らを黙らせたのは、二階の窓から投擲された辞典、図鑑、丸められたポスターという飛行物体だった。

 階下の騒ぎに業を煮やした杏が狙撃してきたのだ。いい加減に寝なさい、と。

 それらが直撃。

 違う意味で眠りに就きそうだった彼らは、最後の力を振り絞って屋内へと足を進めた。

 居間へと辿り着いたところで力尽きたのか、早朝、起きてきた早苗が見たのは死屍累々とした男三人の姿だった。

 

「疲れた……」

 

 視線を泳がせたままの恭介が溜息を漏らす。

 店を開店させた後、朋也と恭介は販売の手伝いをした。

 秋生は早苗が起きてきたタイミングで目を覚ましパンを焼き出したのだが、この二人は開店直前まで寝ていたのだ。

 半分夢心地のまま働き出した二人は通常より多く疲労していた。

 そんなこんなで現在青年二人の周囲には、睡魔という抗いにくい誘いがふよふよと漂っていた。

 

「朋也くん起きてください。朝ご飯ですよ」

「ん、渚……?」

「はい私です。テーブルを拭きますのでちょっといいですか?」

「あと、15分……」

「朋也くんっ」

 

 睡魔に負けたのか、自身を揺り起こす渚へと体重をかけていく朋也だった。

 

「中途半端にいらっとする甘えぶりね……。ほら恭介も。これ飲んでしゃきっとしなさい」

 

 続いて味噌汁をお盆に載せた杏が居間へと現れた。

 

「しじみのお味噌汁よー。飲んだ翌日は美味しいわよー。ほらほら」

 

 お盆をテーブルに置いた後、杏は足で丸出しな恭介のお腹をぐりぐりとつっつく。

 恭介はくすぐったいのか、ひょほっという不思議な息を吐き、

 

「っきゃ!?」

 

 自分の腹の上にあった足を掴んだ。

 そして、

 

「ちょっ! 恭介っ!?」

 

 そのまま杏の素足を撫で回し始める。

 それはもう、優しげに。

 寝ぼけているのだろう。

 

 

 

 

「飯だ飯ーって……なんじゃこりゃ?」

 

 渚が朋也を正座させて説教している。

 息を荒げた杏の足元にはぴくりとも動かない恭介がうつ伏している。

 店から上がってきた秋生の眼前には、なんとも酷い光景が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃお邪魔しました」

「渚、またね」

 

 そうして恭介と杏は昼前には古河家を後にした。

 もう一度藤林家に顔を出してから恭介のアパートに戻るとのこと。

 手をつないで道を歩いていく二人の後ろ姿は当たり前の恋人同士だった。

 

「あいつらも頑張ってるんだな……」

「朋也くん?」

 

 店の前で二人を見送った朋也が小さく呟く。

 その声を聞き取って問いかけてきた渚に笑顔でなんでもないと答えるも、その顔には小さな決意が滲んでいた。

 俺も、いや、俺は俺で渚を守っていきたい、と。

 古河パンの手伝いの証である秋生お下がりエプロン。

 朋也は身につけているそのエプロンを、無意識に握りしめていた。

 

 

 

 朋也が仕事中の芳野と出会うのは、その翌日のことだった。

 

 

 

 ……そして、季節は巡っていく。

 彼ら全員が集う、夏の日へ。

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