/彼女の揮毫
数日振りに筆を執った。
休日のとある一日。誰の目も気にすることが無い極めて個人的な時間。
一人部屋である私の部屋には筆の滑る音だけが響いている。
気まぐれという語彙に身を寄せる私は、ほんの時折だが、徒然なる想いを日記へと綴ることがあった。
日課ではない、というところが私らしいとも言えるのだが。
思い入れのある出来事があった時。忘れたくない想いを感じた時。犇めく感情を持て余した時。
……簡単に括ると、書きたくなった時、というのが正しい表現なのかもしれない。
その行為に対して『しなければならない』という観念は持っていない。
寧ろ気楽に書き記しているだけだ。
日記というものは、本来、旅の記録なのだという。
それは古代ローマ時代であろうとも、現代日本であろうとも変りはしない。
必要に駆られて、もしくは後世に残しておくべき事例として日記は愛され続けてきた。
特に顕著であるのが古代ヨーロッパだ。
紙を主流としてきた東アジアとは違い、当時のヨーロッパでは羊皮紙が使われていた。
例えその材質を使うしかなかったのだとしても、今の私達に比べて日記というものがどれほど希少な物であったか。
そのようなものに書き記す人々の想いはどれだけの重みがあったのだろう。
脈絡もなく思い出された雑学。
手は日記を記す動きを続けているというのに、頭の中では別の事を考えているのだ。
だからだろうか。この日の日記はいつも以上に支離滅裂で。
読み返してみると『旅』だの『恋』だのといった文字が欄外の至る所に記されていた。
無意識というか、注意力散漫というか。
前者の『旅』はわからなくもない。確かに日記と旅について思考していたのだから。
問題は後者の『恋』だ。なぜ、恋?
まあ……誰に知られていることもないのだが、恋をしているのも事実ではある。
普段の私を知る者からすれば、それこそ驚愕の面持ちと共に『来ヶ谷さんが恋?』と口にするに違いない。
以前の私、自身の感情が実感できないと思い込んでいた頃の私が聞けば、自身の未来に疑問を持つのかもしれない。
それでも私は恋をしている。
私なりに。不器用に。
だとしても、日記を開いた当初はこの想いを──胸の奥に横たわっている恋心を──書こうなどとは思ってはいなかった。
確かに私はあの少年を好ましく思ってはいるが、彼の周囲にいる者達全員に好意を抱いている。
満足しているはずなのだ。今を。現状というものを。
しかし、現に。
目の前の日記には、意図せず零れたかのような想いの欠片が文字として溢れている。
……ああ、そうか。
不意に理解した。私は終わりのないこの想いを、文字として残しておきたかっただけなのかもしれない。
知らず苦笑が漏れる。
思っていた以上に、私の内には乙女心という浪漫が眠っているらしい。
誰に見られているわけでもないのに、羞恥という感情が私の身を焦がし始める。
筆を置き、ゆったりとした動作で瞳を閉じた。瞼の裏には浮かぶのは彼の姿。
この場にいる筈もない幻に、心の中で問いかけを。
偶には、私だって。このような乙女な行為に身を任せることもあるのだ。
「……少年。君はこのような私を笑うかね?」
──日記というものは、旅の記録なのだという。ならばそれを恋で埋めたとしたらどうなるのだろうか──。
/彼女の電話
最近の携帯電話ってば凄い。
薄型、小型。カメラや音楽再生機能なんてのは当たり前。
デザインが可愛いのもあれば、なんだこれはーって言いたくなるようなネタっぽい小物まであったりするし。
内臓機能だけ見ても全部使い切れないんじゃないかなって思う。
だって説明書。あれ厚いって。辞書かよって思うよね。
私も今の携帯を買った時は普通な基本機能しか使えなかったし。使い方なんてそのうち慣れるもの? いやいやいや。
勿論最初は調べようともしたんだけど……あっけなく挫折。ばいばい説明書また会う日まで。
結局は通話やメール、音楽プレイヤーだけを使ってた私なのであった。
そのプレイヤーにはお気に入りの曲が一杯詰まっていたりする。
こうしてね、イヤホンで聴いてるとね、なんか、うん。
しやわせーで、うひょーでうひゃーであひゃーなナイスひととき。
自分一人だけの時間を作り出してくれる素敵ツールだったりするのです。
そんな登録音楽も、今は私個人が気に入ってる曲目だけじゃなくなってたりするのが小さな嬉しさだったり。
理樹くんが好きだって言ってた、ちょっとだけ昔のバラード。
ランダム再生中にその曲が流れると、私のほっぺはにんまりと綻んでしまうのである。
お姉ちゃんにはその顔を見られる度、緩んでるわね葉留佳、なんて小言を刺されたりしてるんだけどねー。
ともあれ。この手にある携帯電話は私の宝物だ。
理樹くんのアドレス。理樹くんとの写メ。なんでもない会話で埋まってるメール履歴。
これがあれば何時だって一緒にいられるから。
弄って思い出すだけじゃなくて、その気になったら声も聞けるしねっ。
どこへ行っても、どれだけ遠く離れても、どんなに時間が経ったとしても。
例えば今……お姉ちゃんと二人で実家に帰省してる今日も。
多分今頃、下の階の台所では、お姉ちゃんとお母さんが夕食の準備をしてる真っ最中だと思う。
途中まで手伝って、そのうち呆れられ始めて。
でもってところどころで失敗しちゃって、拗ねながら自分の部屋に戻ってきた駄目駄目な私。
ちくしょー今に見てろよーなんて愚痴を言いつつも、気分転換という目論見で携帯電話をカチカチぴぽぴぽ。
凹んでなんてないやい。元気を充電しているだけなんだい。
なんて思ってたのも今は昔。既に笑顔で一杯だったりする現金なはるちんなのでした。
だってね? こうして携帯に記憶されているデータを表示すると、すぐに理樹くんとの思い出が蘇ったりしちゃうのですよ。
画面のデータに記載されている日付が順々に過去へと遡っていく。
とっても不思議な感覚。
「やは。なんかこれってばまるで……。私と理樹くんとみんなで、記録を残しながらどこかへ動き回ってるみたい」
恋心と一緒に、色々な時間と表情と、思い出の欠片を見て回る。
言ってみれば旅みたいな感じ。
手のひらに収まるサイズの文明の利器を眺めつつ、どことなくそんなイメージを思い描いてみた。
そんな私は、携帯電話を操作しながら──恋という名の旅をする。
/彼女の我儘
──これは、とある王子様とたくさんの王女様の物語。
可愛らしい王子様が友達と一緒に冒険をしています。
冒険の目的はありませんでした。
いっぱいの幸せを持ってきてくれる王子様。
彼は意識して、時には無意識の内に、みんなを幸せにしてくれるのでした。
王子様は冒険の途中でお姫様達と出会います。
お姫様達は、みんなそれぞれ困っていました。
それは当たり前で、どうしようもなくて、不思議で一杯な物語なのでした。
過去に縛られてるお姫様がいました。
人を信じられないお姫様がいました。
お姉さんと喧嘩しているお姫様がいました。
他にもいろいろな悩みを持ったお姫様が登場してきます。
王子様は、そんなお姫様達を──。
……うん。やっぱり私は絵本が好き。
自作の絵本を作ることもあるし、完成したら友達に読んでもらっていたりもしている。
物語に込めた意図が分かりにくいって言われちゃうこともあるけど。
それでも好きなように楽しく描いてる。そんな時間が大好き。
お休みの日、お菓子を用意して、ぼーっとお話の構想を練ってる時なんかは、あっという間に時間が過ぎちゃうのです。
今がまさにその時。
いつものメンバーが別行動をしている今日。野球の練習もなかったから、私は好きな事をして余暇を過ごしているのです。
ちなみに今回考えているお話は、ちょっとだけ甘くて、ちょっとだけ苦くて、でも、とっても大切な想いを乗せた物語。
だから頑張って続きを考えちゃいましょう。
用意しておいたお菓子を一本だけお口にぱくり。
ビターなポッキーを口に咥えた今なら、甘くて苦い幸せが、私一杯に広がっているから。
──王子様はそんなお姫様達をみんなみんな、誰一人欠くこともなく、幸せにすることができたのでした。
でも、出会う人達を幸せにしたとしても、やっぱり冒険の目的というものはありませんでした。
やがて王子様は今までの旅路を振り返ります。
するとそこには、今まで出会ってきたお姫様達との思い出が満ち溢れていました。
とても、とても一杯の幸せに包まれた、お姫様達との思い出です。
そうです。王子様は彼女達から大切な想いを受け取っていたのです。
感謝と、尊敬と、恋慕と、愛情を──。
「んー。王子様はどうするのかなー? ……お菓子が大好きなお姫様と、もう一歩踏み込んだ関係に……なんて」
いいのかな、こんな唐突な我儘。
いいよね、これぐらいの我儘。
うん。これは恋を探し出した王子様の冒険譚。そういうお話にしよう。
……完成させてもみんなには見せられないかも、とか思ってしまう私ですが、そんな感情だってあったりしちゃうのです。
みんな楽しく、仲良く幸せスパイラル。
そういった考え方はとっても私らしいとは思うんだけど。
物語なんだって自己弁護しながら、少しだけ我儘に足を踏み出してみた自分勝手な休日のお昼。
そんな私は、絵本の中で──恋という名の旅をします。
/彼女の追憶
春は曙。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。
歌人である父を持った彼女は、自身が記したとされる随筆にてそのように述べている。
いずれも季節と時刻を表し、選んだ言葉を際立たせる場面を追随させていく。
彼女にとっては、その時その光景が何よりも美しさを感じさせる趣きであったのだと。
確かに彼女の場面選択には共感を得るに吝かではない。
春。柔わくも美麗さと力強さを含んだ曙光。
夏。風情と涼と、月と宵闇。
秋。暮れの陽を背に、哀れを誘う美しき鳥。
冬。白と、雪と、霜の早朝。
彼女が選び抜いたこれらの視界は、読み追うわたしの脳裏に時代を隔てて鮮明に蘇るのだった。
そして惹かれる。
なかでも夕暮れに。秋を思い描かせる夕暮れの空に。
夕陽の中。彼の鳥達は、己の住処を目指して空を舞っているのだろうか。
その光景に想いを馳せる度、わたしはその鳥を、美しいと……哀しいと感じてしまう。
哀しく、美しい鳥……美鳥。
女は鳥を想い。鳥は女を想い。やがて鳥は、女から離れて彼方へと飛びゆく。
それが結末。清少納言が意図するべくもない、わたし達の結末だった。
『一の段の、秋の項。これって物寂しいけどさ、なんだか幸せな光景に思えるんだ』
彼がそう言った時、わたしは言葉の意味が理解できなかった。
同じ作品を読み解いたはずなのに、ここまで感想が違うとは。哀しさと幸せ。あまりにも違い過ぎる。
わたしは秋の文に感情移入している。その自覚はある。
山を越え行く鳥達にあの子を投影しているのだと理解している。
それでも、それを抜きにしたとしても。幸せという単語が生まれてくる感覚がわたしにはわからなかった。
疑問を抱いた。彼の見立てに。
口には出さなかった。代わりにわたしの表情が正直者だったらしい。
彼はわたしに微笑んで……あっさりとした言葉で、当然のように言い放った。
『だって帰る場所があるんだから、見送ってあげなくちゃ。……またねって。元気でねって』
さようなら、ではなく、またね。さびしいな、ではなく、元気でね。
それが彼の想い。幸せへと繋がる原風景。
その時のわたしと彼の違いはそれだけのことだった。それだけだからこそ、あまりにも違っていたのだった。
彼と私の間にある感性の違いは互いの差を突きつけてくる。
わたしは少なからず落胆し、そしてそれ以上に興味を引かれたのだった。
……興味とは男女間の情を生み出し易い想いの一つ。
けしてその出来事だけが原因というわけではない。しかし、今の想いへと繋がる一端を担っていたのは確かなのだと思う。
以来、わたしはその文章を目にしても、哀しみという感慨だけに囚われる事はなくなった。
凝固した感情は変わらない。美しい鳥に対する感情は薄れない。
でも、思い出を望む角度は変えられるのかもしれない。
秋は夕暮れ。
今ではこの一文が目に入る度に、わたしは平安の世と現代を、美鳥と直枝さんを想い描く。
時代と趣きを触れ合わせ、裸になったわたしの心は、あの子と彼の間を行き交い続ける。
ルームメイトである能美さんがいない今。部屋に一人。わたしは棚から一冊の古典随筆を取り出した。
何度となく読み返してきた本を、壊れ物のようにゆっくりと広げて。
今日もわたしは、枕草子に想いを馳せ──恋という名の旅をする。
/彼女の御八
午後二時半。休日ということもあるのでしょうか、お昼時を過ぎた学生食堂の厨房には私の姿しかありません。
どうして厨房なのかというと、ちょっとした御八つを作ろうとしているからなのです。
勿論厨房の使用許可は頂いておりますので問題無し。材料もレシピも心意気も準備万端。
今日は一日部屋にいる予定です、とおっしゃってた西園さんに、美味しい御八つを持っていってあげましょう。
……でも初めて作る料理なので、実は練習の意味もあったりするのです。
皆さんとの何でもない談笑中、私が話したとある料理。食べてみたいな、なんて言ってくれたあの人の言葉。
そんな事で簡単に触発されてしまった私は単純なのでしょうか。
まずはジャガイモさん。
すり下ろしてヨーグルトさんと混ぜ混ぜします。すり下ろした時に出てくる汁はしっかりと除いておきましょう。
次は味付けと繋ぎです。
卵さんにお塩と胡椒、小麦粉さんとサラダ油を混ぜ合わせて、ジャガイモさんと合体です。
無心で混ぜます。頑張って捏ねます。必死に馴染ませます。
……わふ。ちょっと一息。少しだけ疲れてしまいました。
出来あがった生地を私の手のひらぐらいの大きさに千切って、フライパンで表面だけを焼きます。
一つ一つが小さめなハンバーグみたいです。
表面はカリカリ、中は半生なままの生地を、今度はオーブンに入れましょう。
後は所定の時間火を通して、生地が膨らんできたら完成なのです。
焼き上がる前に、余ったヨーグルトとレモンさんで付け合わせのソースを作っておきましょうか。
もうすぐ午後三時。出来上がりは御八つと呼べる時間を過ぎてしまいそうですが、もーまんたいなのです。
……ごめんなさい。嘘です。少し時間を読み違えてしまいました。
今回作っているのは『どらにき』といって、ロシア料理の一つです。
簡単に言うとジャガイモさんのパンケーキといったところでしょうか。
ふわっとして、もちっとして、生地の甘味は少ないですけど、薄しょっぱさが美味しくて。
付け合わせのさっぱりとしたヨーグルトソースとの相性は格別なのですっ。
私は料理が好きです。和食が一番好きですけれど、記憶にある色々な国の料理も嫌いではありません。
きっとそれは、私が生きて暮らしてきた記憶なのだからです。
食というのは様々です。国や地域、人や暮らしによって千差万別です。
各地の料理を作ると、それはまるで、今までの記憶を辿っていくかのような想いに囚われます。
恰も料理は旅のよう。
私が私となった経緯を表現するかのようです。
「わふーっ。完成なので……、がりやちぃっ!?」
熱いですっ! どうーして私は素手でオーブンプレートを触ったりしたのでしょうか……。火傷さんです……。
涙目になりながら流水でじゃばじゃば冷やします。ありがたいことに痛みはすぐに引いてくれました。
気を取り直してお皿に盛りつけましょう。ソースも添えて、わふ、いい感じなのです。
今しがたの火傷は忘れて、てきぱきと後片付けをしましょう。
どらにきは熱いうちに食べるのが最高なのです。
御八つを持って私達の部屋へ。西園さんは美味しいと言ってくれるでしょうか。
そしていつかは、彼も美味しいと言ってくれるでしょうか。
好きな人に料理を作ること。それはとっても単純で、とっても嬉しい私の目標でもあります。
日本の料理を、ロシアの料理を、世界の料理を。
いつか、きっと、ずっと、毎日。
いつも私は、料理をしながら──恋という名の旅をします。
/彼女の尻尾
渡り廊下の傍。こいつらとってもあたしにとっても、最高のお気に入りポイントであるこの場所。
あたしは陽だまりの中、うみゃうみゃという鳴き声に囲まれながら猫じゃらしを振っていた。
ぽかぽかな日差しが暖かい。コバーンもホクサイもゲイツも他のみんなも、うにゃーとお腹を出してだらけきっている。
なんて愛らしい姿なのかこいつらは。ぷにぷにお腹を指でぷにぷにしたくなるだろう。
誘っているのか? 誘っているんだな? 魔性の存在だなおまえらは。雌猫なら魔性の女だな。
そうか。なら仕方ないな。これは仕方ない。
あたしは空いている方の手で、あくまでも仕方がないなという意志の元、アインシュタインのお腹をつつく。
仕方ない、仕方ない、仕方ない……うにゃー、やわらかくてきもちいいな……。
ぷにぷにー。ふにふにー。
……ぬなーってなんだ、ぬなーって。お前も気持ちいいのか? 気持良くて鳴き声が蕩けてんのか?
ほれほれ。ぷいぷいー……。
意識が遠のく程度の幸せ。そんな最中、首筋に違和感を覚えた。後ろに引っ張られるような、僅かな感覚。
なんだ? と思い、視線を背後へと向ける。
勿論のこと、自身の真後ろを確認する事は出来なかったが、それでもその原因となる姿は認識できた。
「……なにをしてるヒョードル」
返事はうにゃにゃ。わかりそうでさっぱりわからない。
さっきまであたしが振る猫じゃらしに大興奮していたヒョードルが、束ねているあたしの髪先にしがみついていた。
二本の前足で器用に髪の先を挟んでいる姿は、まるでよちよちと立ち上がっているかのようだ。
「なんだお前。今度はあたしの髪の毛で遊びたいのか?」
少しばかり首を振ってみる。ヒョードルは離してなるものかーとばかりに頑張ってしがみついていた。
必死な様が無闇に可愛い。
やがてヒョードルが出している奮戦な鳴き声に気づいたのか、他のみんなも起き上がり、それぞれがじゃれついてくる。
あたしの髪の毛にねこぱんちするやつ。身軽にあたしの上へと跳び乗ってくるやつ。
そして遊んでいる猫のしっぽで更に遊んでいるやつ。
しっぽ連鎖か。しっぽ連鎖だな。あたしの髪の毛も合わせれば三連鎖だ。
あたしの髪。ポニーテールというらしいこの髪型は、なんと馬のしっぽという意味がある。びっくりだ。
最初に恭介からそのことを聞いたときにはまたいつのも適当な話か、なんて思ったりしたのだが、どうやらホントの事らしい。
馬のしっぽ。あたしは頭からしっぽを生やしていたのだ。
でも、実のところはそれほど驚いたというわけでもない。
それよりも、少しだけだが『やっぱりか』なんていう気持でもあった。
そう思えたのはあいつの一言。前に、いや、随分と前に、理樹が言ってきた言葉。
あたし以外の馬鹿四人を含めた、一緒にいて当然だった幼馴染五人組で河原を駆け回っていたあの頃。
並んで走っていた理樹は、なんともなしにこう言ったんだ。
『鈴の髪ってさ、なんだか猫のしっぽみたいだよね』
唐突にそんなことを言われたものだから、そのときはとりあえず蹴っておいた。反対側にいた真人を。
馬鹿な記憶。忘れられない記憶。そんなだからか、髪型がしっぽを模していたのだと知っても今更だった。
……それにしても、あの時に生じた感情はなんだったのだろう。
猫のしっぽ。猫は好きだ。うにゃーだ。
恥ずかしさが半分、馬鹿かこいつは感が半分……そして、嬉しさがほんのちょっとだけ。
それがあたしの思い出。
結局今でも同じポニーテールを続けているのは、あの日に生まれた気持ちと、今現在抱いている気持ちが……。
「……ふかーっ!」
どーしていいかわからなくなったので全力で威嚇してみた。妙に心地良い胸の高鳴りに対して。
それでも威嚇はあたしによじ登っていた猫達にしか効果がなく、うにゃうにゃと転がり落ちていくだけだった。
きっとあたしは、あの日からずっと──しるかぼけぇ!
//彼女達、そして彼
同日。同刻。
少年は友人達と遊んでいた。
気兼ねのない幼馴染達の中で、心底安心しきったような笑みを浮かべて。
少女達が思い思いの旅を夢想していようとも、少年は微塵も変わらない日常を楽しんでいた。
やがて、なんとなしに零れた一言を切っ掛けとして、彼らの話題は年相応な男子達の興味事へと移り変わる。
一人が言う。お前達、好きな奴はいないのかと。
一人が答える。俺は理樹が好きだぜと。
一人が答える。何を言うか、俺の方が理樹を好いているのだと。
少年が答える。僕はみんなが好きだよと。
これが現状。仲の良い皆が好きなのだと臆面もなく言い切れる、少年の偽りない心情であった。
想いだけでは伝わりにくい。
言葉に乗せると虚ろいやすい。
行為だけだと掴みにくい。
それが恋慕。抱いているだけではけして届かない片道切符。
少女達は少年へとありのままの意思を伝えることが出来るのだろうか。
少年は少女達の情を受け止める日が来るのであろうか。
今はまだわからない。誰しもが知る由のない命題。
だからこそ。
だからこそ、少女達は想いを胸に歩み続ける。
伝えたい想い。渡したい気持ち。送りたい感情。辿り着きたい夢。
それは得てして、旅のようなものなのだ。
旅とは、他所の地へと赴く行為。
恋とは、他者の心に住みたいという衝動。
少女達は今日もどこかで──恋という名の旅をする。
きっと誰もが──恋という名の旅をする。