「葉留、佳……?」

 

 勿論、その呟きに対しての返事は無い。

 葉留佳が居た筈の場所には、流れるような人の波。

 ……成る程。

 これはもう認めるのも億劫な程簡単な答え、ね。

 

「理樹達とはぐれた……な。 こいつはもう、見事なまでに」

in the summer night  <夏夜のひととき> 第三話

 今更ながら、辺りを見回す。

 目に映るのは人、人、人……

 まったくもって人探しが出来るような状況なんかじゃなかった。

 

「まったくあの子ったら…… ちょっと目を離しただけなのに」

「そう言ってやんなって。 これだけの人ごみなんだ。 流れに逆らわずに歩くだけで離れちまうのも……って、ありゃ」

「? どうしたのよ」

「ほら。 電波が届いてないみたいだ」

 

 気楽な口調で軽口を叩きつつ携帯電話を取り出した棗恭介。

 後に続いて発したこの男の台詞に、がくんと力が抜けた。

 

「嘘でしょ? いくら山の中だといっても、電波くらい……」

 

 彼が手にしているその価値を全く発揮してくれない無用の長物を覗き込む。

 ……あ、ホントだ。

 

「……こういうものって持ち主に似るものなのかしらね」

「勘弁してくれ……」

「あっ…… ってやっぱり駄目ね」

 

 省略された電波受信可能識別記号が一瞬だけ現れるも、何かの間違いだったかのように姿を隠す。

 しばらく見続けていても、結果は同じだった。

 ふうん…… 時々、申し訳ない程度の電波が届くみたい。

 

「……使えないわね」

「……俺に顔を見て言うなよ…… 二木、お前のはどうなんだ?」

「どうもこうもないわよ。 聞くだけ無駄ね」

 

 そもそも今日は携帯電話なんて持ってきていない。

 だって、葉留佳とは寮からずっと一緒だったし…… 最後まで一緒にいるつもりだったし……

 もしも遊んでいる時に電話がかかってきたりしたら、葉留佳との時間を減らす羽目になるし……

 

「折角の姉妹水入らずなひとときを電話なんかに邪魔されたくなかったって事か」

「ええ、そうよ。 ……っ!? はぁっ!? そんな子供じみた考えを持つわけ無いでしょ!」

「いや、『一緒だったし』くらいから口に出してたぞ?」

 

 っ! ……この男っ……

 今日は何? 厄日なの? 厄日なのね? そうに決まってるわ。

 さっきから何度も何度も…… 随分と楽しそうに手玉に取ってくれているわね?

 しかも変に恥ずかしい事ばかり。 爽やかなその笑顔がまた……

 ……よし。

 

「二木? なんだよ、そんなに拳を握り締めて?」

「……記憶を、消すには」

「は?」

「……強い、衝撃を」

「衝撃、を?」

「……対象の、頭部にっ!」

「はぁっ!? ちょ、お前、はぁっ!? ……はぁっ!?」

 

 うるさいっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、どうにかして探しましょうか」

「ったく。 何事も無かったみたいに……」

 

 ふんっ。 馬鹿。

 

「でも、流石にちょっと心配ね。 直枝理樹が一緒だとしても……」

 

 賑わっているとは言え、夜は夜。

 それに心無い人間がいないなんて保証も無い。

 いくら直枝理樹が側にいても……側に、居ても?

 え?

 あれ?

 むしろ逆?

 人畜無害そうな顔をしていたって、直枝理樹も生物学的には男性よね?

 しかも葉留佳は直枝理樹の事を憎からず……はっきり言ってしまうと好意を持っているわけだし……

 夏。 夜祭。 二人きり。 気分高揚。 ある意味開放的。 普段とは違う雰囲気。 浴衣。

 あ、駄目だ。

 自分でもどうしようもないくらいに想像だけが先走る。

 

「心配しなくてもいいさ」

 

   ぽん。

 

「……なによ?」

「理樹が一緒なら大丈夫だってことさ」

「だからこそな心配もあるのでは?」

「俺達が心配してるってことぐらい三枝も気が付いてるだろうからな」

「……で?」

「そんな状況で理樹が間違えることは無いからな。 色々な意味で、な」

 

 ……そう。

 ふぅ。 なら、いいわ。

 彼をそんなにも信頼しきった貴方のその言葉。

 それを信じるのも悪くなさそうね。

 

 

 

 でも。

 

「この手は、なに?」

「ん? ……ん~、なんだろうな」

 

 私の頭に乗せられた、想像していたよりも、大きなてのひら。

 

 まるでそこが定位置かのように置かれた棗恭介の右手。

 

 少しだけ感じるのは、程よい重み。

 

 なんだか…… うん。

 撫でられてる、みたいな。

 不思議な感触。

 

「なんだか、こうしたくなった。 悪いな」

「……」

「……」

「……」

 

 そっか。

 

「本当、おかしな人ね。 ……恭介、は」

 

 小さな、とても小さな言葉遊び。

 きっと、この馬鹿は、気が付かないだろうけど。

 

 

 

 

 私達の横を通り過ぎる人波。

 そのざわめきも、いつの間にか気にならなくなっていた。

 

 やははー、なんてお気楽な声が届いたのは、それからしばらく経ってからの事だった。

 

 

 

 そんな、なんでもない、夏の夜──

 

 



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