「四本頼む。 ああ、マスタードもケチャップも全部に」
「その内一本は増量で」
「は?」
「ケチャップ増量で」
フランクフルトでも食べるかっ!
脈絡もなくそんな提案をしてきたのはこの男、棗恭介。
彼は私達の意見を聞くそぶりも見せずに、近くの屋台へと進んでいった。
葉留佳や直枝理樹と軽く顔をあわせた後、私は注文を終えた彼の横まで近いて自らの意思を推し通す。
「二木? もう十分にかかってると思うんだが……」
「増量で」
「いや、これ以上かけてもらっても垂れるだろうし、ほら、このおっちゃんも微妙な顔を」
「増量」
「……」
え? なによその表情は。
いいじゃない。 好きなんだから。
「うん、おいし~! 理樹くんっ! そっちはどうかな?」
「もちろん美味しいよ……って葉留佳さんっ!? どうして口を近づけてくるのさっ!?」
「えー、味見させてよー」
「味見も何も、同じでしょ!? 葉留佳さ……あ~……」
「んぐんぐ…… やはは、ホントだ」
葉留佳は直枝理樹が手に持っているフランクフルトに顔を近づけてかぶりと一口。
その一連の行為に全く躊躇がないのもどうかと思うんだけど。
まったく、何をしているのかしら葉留佳は。
同じ屋台で買った同じ商品なんだから違いなんてあるはずないのに。
……でも、とても幸せそうな笑顔。
結果自体に意味は無くても、その行為には意味があるって事なのかしらね。
「楽しそうだな、あの二人」
「そうね。 貴方も混ざってくればいいのに」
「勘弁してくれ。 自ら馬に蹴られに行く趣味は無いさ」
「そ、どうでもいいけどね」
葉留佳が直枝理樹とじゃれ合っている間、必然的にもう一方の片割れが私に話しかけてくる。
彼の言葉には何故だか、愛しい者を見守る温かさのような印象を受ける。
ま、それだけあの幼馴染が大切って事なんでしょうけどね。
その事自体には私も別段煩わしさを感じたりはしない。
私だって同じようなものなんだし。
あの娘が、とても大切。
あの娘の笑顔が、何よりも大好き。
もしかしたら、根底にあるこの感情は……この男と同類なのかもしれない。
「……それもどうかと思うけどね」
「ん? 何か言ったか?」
「言ってません」
ったく、耳聡いというか勘がいいというか。
自分にとって大切な何かに触れる場合にだけは鋭いんだから。
普段の朴念仁っぷりはどうしたのよ。
「……ところで二木、ちょっといいか?」
「? 何?」
唐突に声色を変えて私を呼ぶ。
? ……どうしたのよ棗恭介。
って、近い!
顔、近いっ!?
「ずっと、言おうと思っていたんだ」
「言うって、え!? ちょっと、そんなに近づかなくても!」
「馬鹿、こんな事大きな声じゃ言えないだろ」
「な、こんな事ってどんな事っ」
「……恥ずかしいだろ? 他の人に聞かれたりしたら。 その、なんだ……お前だってさ」
え、え? 恥ずかしい事?
って、嘘。
人に聞かれたくない恥ずかしい事って……それって……え?
「頼む、逃げずに聞いてくれないか」
「……」
囁く彼の顔が、目の前一杯に広がる。
辺りに響く祭囃子。
活気溢れる喧騒の波。
屋台の裏手から漂う草いきれ。
昼間の暑さを忘れさせるような夕闇の涼。
そういった『いま』を取り巻く全ての情報が、どこか遠くに思えたその一瞬。
限界まで近づく彼の唇に目を奪われて、思いがけず、きゅっと目を瞑ってしまった。
そして耳元で優しく一言。
急接近注意なその顔は──きっと私の顔と交差するような形で──思いもしなかった言葉を呟いた。
「頬っぺたのケチャップ、凄ぇ事になってるぜ?」
「いいじゃない、好きなんだから」
手渡された紙ナプキンを使ってそそくさと頬を拭いつつ、自分でもなんだかなー?と思える悪態をつく。
……ホント、この天然は……っ。
「だからケチャップかけすぎだって言ったんだ。 浴衣にまで零れていたら絶対凹んでただろ、お前も?」
「ふんっ、ケチャップなら本望です」
「ったく、無駄に意固地だな……」
誰の所為だ、誰の。
「ん? おい二木」
「今度は何ですか? 醤油? ソース? おあいにく様、まだ焼きとうもろこしも焼きそばも買っていないのであしからず」
「理樹達はどこだ?」
「……え?」
我に返って辺りを見渡す。
彼の言葉の意味が単純なまでに浸透してくる。
視界には葉留佳はもちろん直枝理樹の姿も無く……
存在していたのは、噎せ帰る程充満している『夏祭りの夜』だけだった。