「理樹くん理樹くんっ。大変だよっ! もっのすっごく大変だよっ!」

「葉留佳さん?」

 

 部屋でまったりとしていた僕の元へと、文字通り飛び込んで来た葉留佳さん。

 彼女とそういう関係になってからというもの、退屈とは縁の遠い日々が続いていた。

 それは週末のデートだったり、勉強の手伝いだったり……恭介と二木さんを焚きつけたあの日々だったり。

 とにかく、目まぐるしい、とは言い切れないけれど、けして飽きることのない日常が繰り返されていたんだ。

 

 ただ、今回持ちこまれた騒動は、いつも以上に耳を疑う内容で……。

 

「恭介さんが、浮気をしているようなのですよっ!」

「……はい?」

 

 思わず間の抜けた返事をしてしまったのは、きっと僕一人のせいではないと思う。

──ほんと、もう、いい加減にして──

 恭介が浮気をしている。

 浮気……名詞、ないしは形容動詞。恋人や配偶者がいるのにも関わらず、他の異性と関係を持つこと。

 

「さて、と。真人は筋トレに出かけてるし、そろそろ宿題を片付けておこうかな」

「何事もなかったのようにスルーされたっ!? いや、いやいや。理樹くん、そんなに大物ぶっている場合じゃないよ!」

 

 大物ぶってるって。

 

「お姉ちゃんの一大事なんだよっ!? このまま放っておいたら嫉妬に狂ったお姉ちゃんがサスペンス劇場だよ!」

 

 うん。意味が通じるようで、その実、見事なまでにさっぱりだった。

 

「えと、葉留佳さん?」

「ナンデスカッ!」

「とにかく落ち着こうよ。はい。どろり濃厚」

「うわーいっ。はるちん、このゲルちっくなピーチ味が大好きなんだよねー。にははっ……じゃなくてっ!」

 

 一通りなノリつっこみをしてくれた葉留佳さん。やっぱり僕は彼女が大好きだった。

 とりあえず抱きしめておくことにする。ぎゅー。

 

「……やはー。理樹くんの胸ってあったかいんだよねー……」

 

 さっきまでの取り乱しようはどこへやら。

 僕の胸に顔を埋めている葉留佳さんは、借りてきた猫みたいにしおしおと大人しくなっていった。

 うにゃうにゃと頬を擦りつけてくる葉留佳さん。

 代わりに、というのもおかしいけれど、葉留佳さんが顔を動かすたび、甘い香りのする髪の束が僕の顔を撫でていく。

 その行為はまるで。僕の理性を艶やかにくすぐっているようで。

 

「……葉留佳さん」

 

 ぎゅっと。

 優しく、労わるように回していた僕の腕は、いつしか力強く葉留佳さんの背を求め始めて……。

 

「……ん」

 

 僕の気配が変わったことを敏感に察した葉留佳さんが、とろんとした瞳で見上げてくる。

 僕自身、視線は葉留佳さんの熱ぼったい瞳に釘付けで。

 仄かに桃色づいた唇が、視界の隅に映ったような気がした。

 でも、それを確かめる必要なんて、刹那もなくて。

 

 ……引き寄せられるように、僕は葉留佳さんの可愛い口元に──。

 

「って、あびゅねーっ!」

「うわあっ!?」

 

 危ない、とでも言おうとしたのだろうか。

 素敵に噛み噛みな言葉と共に、葉留佳さんは僕の胸から体を離し、一歩分だけ距離を置いた。

 

「まったくー。もうー。理樹くんってば時々狼さんになるよねー」

「そんなことないよ?」

「うっさい! このスケコマシショタっ子めっ!」

 

 正直その言い様はどうかと思う。

 

「そんなことよりも恭介さんの浮気についてですヨ。はるちん達がいちゃいちゃしてる場合じゃないんですヨ」

「えー。いちゃいちゃしないの?」

「うくっ……。た、確かにさ、理樹くんといちゃるのは、それはそれではるちんも幸せというか、ナントイウカ……うきゃー!」

 

 あ。葉留佳さんが悶えてる。顔を真っ赤にして、目をぎゅっと瞑って。

 そんな様子が楽しくて、ひたすら葉留佳さんの姿を眺めていると……。

 

「もう理樹くんなんて知らないやいっ」

 

 拗ねたように、両手で顔を隠してしまう葉留佳さんだった。

 ちょっと悪戯が過ぎたかなー、なんて。そんな気持ちが頭を過ぎったけれど。うん、だけど。

 だって、ねえ?

 恭介が浮気をしている?

 あの恭介が?

 あんなにも自分の色恋には鈍感で、それでいて二木さんをモヤモヤさせて、しっちゃかめっちゃかな騒動を経験して。

 でもって今では、人目を忍んで(と、本人達は思いこんでいるらしい)青い春を堪能しまくっている恭介がだよ?

 昨日だって、

 

 

『佳奈多、今度遊びに行く時さ』

『っ! 棗恭介っ!』

『っと、なんだよ佳奈多、突然大声出して。それにフルネームで呼ぶなんて余所余所しいなー』

『こ、こんなに人が沢山いるところでっ、きゅ、急に名前で呼ばないでっ』

『え? だって普段は名前呼びだろ? お前だって俺のこと恭介って』

『うるさいっ』

 

 なんて、そんな昼休みを過ごして、

 

『二木ー、二木ー。偶には俺達と一緒に野球でも……ん? 二木?』

『……なによ』

『なに怒ってるんだ?』

『普段からこんな顔です。可愛げが無くてごめんなさいね』

『は? 二木はいつも可愛いぞ?』

『──っ!』

『痛っ!?』

 

 こんな放課後を過ごして、

 

『なぁ理樹』

『どうしたの恭介?』

『佳奈多のやつ、なんか午後から不機嫌じゃなかったか?』

『……そう思うなら名前で呼んであげなよ』

『いやいや。あいつ自身に言われたぞ? 名前で呼ぶなって』

『……や、なんだろう。うん。ほんと、いい加減にして?』

 

 

 といった夜を繰り返してる恭介がだよ?

 二人が上手くいくように手伝った僕が言うのもなんだけどさ。

 無自覚な性格な恭介が素直になると、ここまで天然に甘酸っぱいやりとりをするようになるなんて、ね。

 だから今更。恭介が浮気してる、なんて言われても。

 

「絶対に葉留、」

 

 葉留佳さんの感違いだよね、と。そう言おうとしたけれど。

 顔を隠して拗ねている葉留佳さんへと振り返ってみる。

 俯き加減で両手を顔に当ててはいるものの、僅かに開いた指の間から、ちらりと視線が見えてしまって。

 目は口ほどに物を言うというのはこういうことなんだろう。

 拗ねてるのはフリだけで。視線はかまってかまってーと如実に訴えていて。

 

「えと、こほん。葉留佳さん?」

「……知らないやい」

「どうして恭介が浮気してるって思ったの?」

「ふんだ。どうせ理樹くんは、はるちんの言うことなんて信用しないんでしょー」

 

 やばい。ネガティブ可愛い。

 不貞腐れているのに、甘えん坊な葉留佳さんがひょこっと顔を覗かせているような。

 

「ほらほら、葉留佳さん」

「……んー」

「ビスケット食べる?」

「食べ物で釣られると思われたーっ!?」

 

 いや、少ししか思わないけどさ。それ以上に嗜虐心というかなんというか。

 

「まったく。心外ですよ。あむあむ」

 

 食べてるじゃん。

 

「で? 恭介がどうしたって?」

「そう! そうなのですヨ! 理樹くん、驚かないで聞いてね?」

 

 周囲を気にしてか、葉留佳さんは二度三度きょろきょろと室内を見渡す。

 当たり前のように誰もいないのだけれど。

 

「はるちん聞いてしまったのですヨ。恭介さんが……」

「恭介が……?」

 

 葉留佳さんは一段と声を潜めて。

 

「小毬ちゃんとデートするって」

「えっ」

 

 流石に声を無くした。そして内容を理解した瞬間、つい、葉留佳さんの言葉を反芻してしまう。

 

「恭介が小毬さんとデートっ!?」

「理樹くん声大きいよっ!」

「直枝? いるならいるって返事を……」

 

 あ。

 

「……お、お姉ちゃん?」

 

 不機嫌そうな顔をした二木さんが、部屋のドアを開けて……。

 なに? このタイミング。

 

 あぶそりゅーとでぜろな空気が、僕の部屋を覆い尽くそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そう」

 

 怖っ。抑揚の無い声って、普通に怖いよ?

 窓際に立つ二木さんの前で、何故か正座をしている僕と葉留佳さん。

 部屋に入ってきた二木さんは、落ち付いた声で一言、恭介がなんだって? と聞いてきた。

 恭介と小毬さんがデートする、かも。とだけ、なんとか口にすることはできたけれど、え、なに、この空気。

 それにしても……。

 

「なんて絶妙なタイミングで」

「理樹くんが大声出すからでしょっ」

「葉留佳さんが驚かせるようなことを言うからだよ」

「驚かないでって言ったじゃんっ」

「ごめん、それ無理」

「今更過ぎるっ!?」

 

 ぼそぼそと小声で責任の擦りつけ合いをしている僕達。なんて素晴らしい関係なんだろう。

 

「で?」

「「はい」」

 

 二木さんの声には脊髄反射的なスピードで返事をする。

 

「詳しく聞かせてもらえるのよね? 勿論」

 

 拒否権? なにそれ、私知らない。

 葉留佳さんはその呟きを皮きりに、恭介浮気疑惑の顛末を語り始めたのだった。

 

 

 切っ掛けはいつもの悪戯からだったらしい。

 放課後、中庭の掃除をしていた葉留佳さんは、ふらりと現われた恭介を目にした。

 一人で歩いている恭介は、なんだかそわそわしていたようで、堪らず好奇心が首を擡げてしまったのだという。

 しかも恭介の向う先は、どうやら校舎裏のようで。

 恭介。そわそわ。校舎裏。となれば……きっとお姉ちゃんと逢引きをするに違いないっ、と。

 そこで生まれた悪戯心は、恭介と一緒にいるであろう二木さんをからかうことで。

 にんまり笑顔を湛えつつ、校舎の陰から覗きこんだ先には……。

 

「恭介と小毬さんがいた、と?」

 

 僕の確認に葉留佳さんが頷く。そして聞いてしまったらしい。

 二人で買い物に出かけるのだと。

 

「今日のこと、誰にも秘密でなって言ってた……ような……あ、あははは」

 

 言葉尻を濁す葉留佳さん。うん、その気持ちはよく分かる。

 だってさ、無表情な二木さんがえっらい怖いんだもん。

 

「き、気にすることはないって二木さんっ」

 

 僕はなけなしの勇気を振り絞り、和やかな演出を試みる。

 

「きっと買い物って言ってもさ、野球道具の買出しとか」

「野球道具の買出しなのに、誘うのは神北さんなの?」

「うぐ……」

 

 確かに。それならマネージャーの西園さんが適任かもしれない。

 そもそも僕や真人でだっていいはずだ。

 

「あ、あれですよあれ! きっとお姉ちゃんの誕生日プレゼントを選ぶのに必要だったとか。くー、このラブコメめっ」

「全然時期が違うわよね。葉留佳? 自分の誕生日も忘れたの?」

「えう……」

 

 男一人では女の子向けのプレゼントを選ぶのが恥ずかしい。だから女友達についてきてもらう……。

 まさしく王道なラブコメ展開ではあるけれど、それすらも通用しなさそうだった。

 

「ホットケーキなパーティーの準備を、」

「そこまで秘密裏に用意するものなの?」

「指輪のサイズを、」

「本当にそう思う?」

 

 駄目だ。思いつくまま様々な意見を言ってみたところで、その全てが一刀両断されてしまう。

 あー、もう。なにしてるんだよ恭介っ。

 

「やっぱり……本当に小毬ちゃんとデートなのかなぁ」

「……っ」

 

 葉留佳さんの、ある意味決定打とも言える一言が、二木さんの全身をぴくりと震わせた。

 

「えと、葉留佳さん?」

「なに?」

「その、恭介と小毬さんのデ……んっ、買い物ってさ」

 

 危ない。

 

「何時行くかまで聞こえた?」

「うん。今日の放課後って言ってたよ?」

 

 今日なのっ!? それじゃあ今頃は、既にヨロシクし終わって帰ってきてるってこと!?

 

「……男子寮の風紀を正すわ」

 

 どういう意味ですか二木さんっ!?

 

「もう、帰ってきているのよね。あの馬鹿は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずんかずんか歩いていく。

 一刻も早く恭介の部屋へと行きたい筈なのに、それによって結論を知ってしまうことが不安なのか。

 先頭を歩く二木さんの足取りは、力強いけれど、進む速度は比例していなかった。

 

「ところでさ、お姉ちゃん」

「なに?」

 

 ずんかずんか。

 葉留佳さんからの声かけにも振り返らず、二木さんは声だけで返答する。

 

「どうしてこんな時間に理樹くんの部屋へ?」

「……不純異性交遊を食い止めに」

「してないヨ!?」

「だって直枝理樹だし」

「シテナイヨ」

 

 うん。僕の返事は妙に裏返ったような気がしないでもない。

 でも今日に限って? 二木さんが来たのは偶然?

 なんて僕の疑問を感じ取ったのか、二木さんは一拍だけ間を空けて、

 

「相談、しようと思ったのよ」

 

 と、俯き加減にそう言った。

 ずんか……ずん。

 絶え間なく進んでいた足音が、そこでぴたりと止んだ。

 

「やっぱり……素直な子の方が、いいのかしらね」

「え……」

「駄目ね、私。結局は駄目みたい」

「駄目って、そんな」

「好きなのに、好きだって自覚しているのに。……つい、反抗してしまうの。裏腹な事を言ってしまうの」

 

 心とは、裏腹な……。

 構ってくれて嬉しい。名前で呼んでもらえて嬉しい。付き合っていて嬉しい。好きでいることが嬉しい。

 でも、二木さんの恭介に対する反応は、考えているようには素直になれなくて。

 例え付き合い始める時、素直になろうと決意したのだとしても。性格が綺麗さっぱり変わることなんかなくて。

 傍から見ているとお腹一杯な恋人同士でも、だとしても。当人には当人にしかわからない悩みがあって。

 きっと、二木さんは、ずっと。

 

「不安、だったみたい。ふふ、可笑しいでしょう?」

 

 部屋を出てから始めて目にした二木さんの顔は、泣きそうな、儚い笑顔だった。

 

「うん。駄目駄目ですネ」

 

 間髪入れずに割り込んだのは、双子の妹、葉留佳さんの声。

 

「自信無さ過ぎ。恋愛下手。奥手というか超奥手。告白の時に自分からちゅーしてたお姉ちゃんはどこへ行ったのやら」

「葉留佳っ!?」

「だって見ちゃったんだから仕方ないじゃん。理樹くんも見たよね? お姉ちゃんの情熱ちゅー」

「や、見たけどさ」

「直枝!」

「ごめんなさい」

 

 あれ? どうして僕が謝っているんだろう?

 

「お姉ちゃんはさ」

 

 葉留佳さんが二木さんの手を取り、両手で胸元へと引き寄せる。

 

「告白の時、言いたいことを全部伝えたんじゃないの? 恭介さんはその上で受け入れてくれたんじゃないの?」

「そ、そうだけど」

「最初から完成された恋人なんているわけないじゃん。二人で一緒に進んでいくんじゃないの?」

「……」

「その一歩を踏み出したのは二人でしょ? なのにお姉ちゃんは、あの時に恭介さんが踏み出した一歩も信じられないの?」

「だって……」

「だって? だってなに!?」

 

 二木さんは、添えられている葉留佳さんの手を振りほどいて、

 

「だって、私……可愛げ無いし」

「「……は?」」

「何時まで経っても素直になれないしっ。昨日だって恥ずかしくて逃げちゃったしっ」

「「……」」

「あいつは、その、恭介は、かっこいいし。優しいし。女の子にも人気あるし……」

 

 なにこれ。

 なにこの恋する乙女全開モード。

 えと。あー……。目の前にいる女の子って、二木さん、だよね?

 

「葉留佳さん。きっと、もうさ」

「うん。多分私も理樹くんと同じ事考えてる」

 

 即ち、自分を客観的に見ることが出来ないレベルにまで達した恋する女の子、なのであると。

 

「……お姉ちゃん?」

「な、なによ」

「すっごく可愛いんだけど。今のお姉ちゃん」

「っ!? な、何をっ、ふんっ」

 

 妹から直接的な褒め言葉を受けた二木さんは、顔を真っ赤にして、再び足を進め始めた。

 大きく両手を振り、肘の関節も動いていないような気がするけれど、それでも背中を押すことは出来たようだった。

 やや前傾姿勢なままの姿で、二木さんはずんかずんかと歩いていく。

 

「後は恭介と小毬さんのことだけだね」

「んー、直接聞いた私が言うのもなんだけどさ、なんだかこの流れって」

「うん。僕もそう思う。きっとこの流れって……」

 

 また、とんでもなくバカップルなオチが待っているだけなんじゃないかな、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕と葉留佳さんが追いついたのは、二木さんが恭介の部屋の扉に手をかけたところだった。

 あの扉の奥に、全ての答えが待っているんだ。

 

「怖いこと考えちゃった」

「え?」

 

 葉留佳さんがぽつりと言う。

 

「たのもーってドアを開けた先でさ、恭介さんが小毬ちゃんとイタシテいたらって」

 

 最悪だった!

 

「でもさ。小毬さんだよ?」

「そうなんだよねー。最初は取り乱しちゃったけど、やっぱりしっくりこないんだよね」

 

 確かに小毬さんは可愛いし、気が利く良い子だ。実際のところ、僕だって彼女のことは好ましく思っている。

 そんな小毬さんだからこそ。二木さんと恭介の仲を、僕達と一緒に取り持った小毬さんだからこそ。

 今の恭介とそういう関係になるはずもないって信じられるし、葉留佳さんの冗談も受け流す事が出来る。

 多分だけど、今回の件にも理由があるはずで……。

 

「どうした? こんな時間に」

 

 ……恭介。

 ノックをした二木さんの前に、恭介が姿を現した。

 意外そうに。けれども嬉しそうに。

 

「理樹達までいるのか? よくわからないけど、ま、とりあえず入れよ」

 

 お邪魔しますと挨拶をして、僕達は恭介の部屋へ入った。

 恭介のルームメイトは出かけているらしく、今、この部屋には僕達四人の姿しかない。

 

「どうしたんだよ、揃いも揃って」

 

 思い思いの場所に腰を下ろし、僕達は互いに顔を見合わせる。

 アイコンタクトとでも言うべきなのだろうか。僕達総意の質問を投げかけるべく、二木さんが口を開いた。

 

「ねえ……今日は何をしていたの?」

「え……」

 

 ……自分の目が信じられなかった。信じたく、なかった。

 恭介の顔から、笑みが消えたんだ……。

 それは、冗談では済まされない事実を表現しているようで。

 

 僅かな、間。

 

 やがて恭介は僕達が訪れた意味を理解したのか、深い溜息をついた。

 

「よく、気がついたな。お前ら」

「……っ」

 

 息を呑んだのは誰だったのだろう。

 

「誰にも悟られないように気を遣ったつもりだったんだけどな」

「……ごめん。恭介さん。私が見ちゃったの」

「……そっか」

 

 違うでしょ? 恭介、こんなの違うでしょ?

 

「そんなところでしくじっていたってことか」

「しくじる……ですって? なら何? ばれなければいつまでも隠し通していくつもりだったの?」

「そんなことはないさ。時期を考えて直接、」

「なら今でいいじゃないっ。もう隠す必要はないでしょ! はっきり……言ってよ……っ」

「……わかった」

 

 そして恭介は、二木さんに背を向けて……っ。

 

「冗談だよね恭介っ! こんなの笑えないよ!」

「笑うなんて……流石に傷つくぞ理樹。俺だって真剣なんだ」

 

 恭介の強い想いがわかるから、感じ取れてしまうから、だから、つらい。

 どこまでも、本気なんだって。

 もう、見ていられなかった。ただ、床を見ていることしか、できなかった。

 

 がさごそ、と。何かを取り出すような音がして。

 躊躇いがちにも真剣な声色で、恭介は……。

 

「佳奈多。これからも、ずっと俺の傍に居てくれ」

 

 そう、プロポーズのような言葉を……っ。

 

 

 ……はい?

 

「「「はぁっ!?」」」

「うおっ!? なんだよお前ら!?」

 

 いや。いやいやいや。え? うん。いやいやいやっ!

 

「はあ!? はあ!? はあ!? なにこのタイミングでプロポーズしてるのさ恭介っ!?」

「恭介さんは恭介さんはお姉ちゃんを裏切って悲しませて喜ばせて幸せで……え? え? え?」

「……」

 

 僕と葉留佳さんの支離滅裂なつっこみを余所に、二木さんは完全に固まってしまっている。

 その、二木さんの手のひらには、小さくも輝いている指輪が……。

 

「恭介は浮気してたんじゃないのっ?」

「なんでだよ。俺には佳奈多がいるぞ?」

 

 超断言。

 

「恭介さん? 小毬ちゃんと買い物に行ったんじゃ?」

「ああ」

「デートじゃなくて?」

「……それを買いに行ってたんだよ」

 

 まさかのプレゼント選び手伝いオチ。

 

「だって二木さんの誕生日は全然違うよ?」

「なんだよ恥ずかしいな。全部言わせる気かよ……ったく。……プレゼントを贈るのに、特別な日時なんて必要ないだろ」

 

 キザい。恭介がキザい台詞を言ってる!?

 

「で、でも、私にはこんなの受け取る理由なんて……」

「あー、もう。……佳奈多、お前さ、近頃なんか悩んでいただろ?」

「え……」

「だからさ、なんだ、その、な。……元気づけてやりたかったんだよ。彼氏として、さ」

 

 や、ちょっと待って。ごめん。もう僕の中での処理が追いつかないんですけどっ。

 

「じゃ、じゃあさ、恭介さん? 買い物の同伴に小毬ちゃんを選んだ理由って……」

「……可愛い物選びっていったら神北だろう?」

 

 えと、ということはなに?

 恭介は二木さんがなんだか悩んでいることにも気がついていて、彼氏としてかっこよく元気づけたくて、しかもその方法はベタにも指輪のプレゼントだなんて考えちゃって、しかも女友達に相談して、恥ずかしいからって周囲には秘密にして、これまた素敵にも他人に知られてしまって誤解を受けて、その所為で恋人が更に悩んで……それでこれっ!?

 

「「いい加減にしてよっ!!」」

「だからなんで俺がお前達に叱られなきゃいけないんだよっ!」

 

 まったくもってその通りだった。

 そもそも根本的な原因は葉留佳さんの早とちりだった訳だし。

 事態を無駄に大きく広げてたっていう自覚もあるけどさ。

 でも、でもさ。

 恭介ってば、恭介ってば……っ。

 

「どこまで天然ラブコメ体質なのさっ!」

「なんだよその酷い言いがかりはっ!?」

「しかも恭介さんってば、さっきは無駄にシリアスちっくだったし!」

「恥ずかしいじゃねえか! 隠れて行動してたのがバレバレだったなんてよ!」

「聞きたくないよ! そんな言い訳!」

「うがーっ! 今日が理樹達が心底理解出来ねえっ!?」

「恭介っ!」

「今度はなんだよもう! ……っ!?」

 

 最後の叫びは言葉にならなくて。

 その発言者も、受けた側も。

 

 

 僕達に理解できたのは、恭介の胸に飛び込んでいる二木さんの姿。

 

 そして、泣き顔と驚き顔がひとつに繋がっているという……あまりにもありふれた、恋人同士の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはー。今回ははるちんの早とちりが引き起こした寸劇でしたネー」

「なにしんみりしてるのさ」

「うん、まあ、ちょっとは反省かなーって」

「僕もだよ」

 

 恭介の部屋から出てきた僕達二人。

 時間も時間だったので、葉留佳さんを送るべく、女子寮を目指して歩いていた。

 

 結局。周囲が騒いでいても、当人達はありのままで。

 恭介は恭介で。二木さんは二木さんで。

 僕達は僕達なんだろう。

 

「それにしても」

「葉留佳さん?」

「お姉ちゃんは幸せ者ですネ」

 

 好きな人に、あんなに大切にされていて。

 

 葉留佳さんの言葉から、こう続けたいんだろう、という想いを感じ取る。

 その気持ちにはまったく同意で。

 少しだけ嫉妬して。

 

「葉留佳さんは幸せじゃないの?」

 

 なんて。大好きな子に意地悪を言ってみる。

 

 

 

 返事は右腕に感じる彼女の重みと、触れた唇の温かさ。

 それだけで十分だった。

 

 



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