青かった。

 視界に収まるその全てが青だった。

 周囲から立ち上る丸い泡が、遠ざかりつつある光へとゆっくり向かっていく。

 対して己の体は光源から離れていくのみ。

 耳に届くのは曇った音。

 ごうごう、と。ごうごう、と。

 

 それが最後の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 

──東風谷早苗の暇潰し──

 

 青く、とても深い夢。つい先ほどまで見ていたその世界は、現実では存在が許されないほどの綺麗さで。

 だからこそあの光景は夢でしかないのだと。彼は頭のどこかでそのように理解していた。

 夢と現実の境をまどろんだのは、ほんの一瞬。指を眉間に押し当てて、意識を現実へと引き戻す。

 己の体にかけられていた布団を剥ぐと、底冷えのする空気が覚醒を促してきた。

 温寒の差が激しすぎる。

 慌てて布団に潜り直そうと無意識に視線を下げた。その行為によって、感じる寒さの原因が否応なしに証明される。

 

「裸、なのか?」

 

 目を覚ました彼が最初に口にした言葉がそれだった。

 見紛う事無く裸だ。上着、着物、下着。それらの衣類を一切合財身につけていない。寒さに打ちひしがれるのも当然だった。

 ましてやこの季節だ。山を覆う紅も姿を隠し、移ろう季節は冬の訪れを予感させている。

 そう判断したからこそ普段よりも厚着をして出かけた筈なのだが……。

 

「出かけた、のだろうか」

 

 どうも記憶がはっきりとしない。脳は未だに怠惰な時間を過ごしている。

 眠気とも言い切れない、曖昧な意識の混濁。どうも釈然としない。

 そもそも、だ。

 

「ここはどこだ?」

 

 根本的な疑問が彼の口から零れ出た。

 布団。枕。天井。畳。壁に掛けられた絵。箪笥などの生活用品。

 見慣れない机。透明度の高い窓硝子。宵闇に彩られた外の景色。

 そのいずれにも憶えはなかった。

 ……どこか女性的な雰囲気を生み出しているこの部屋は、一体誰のものなのか。

 少なくとも、彼が暮らしていると思える要素はどこからも感じ取れはしなかった。

 改めて周囲を見回す。

 すると先ほどの机の上に目が止まった。数名の人物が映し出されている小さな板が置いてある。

 それは写真立てであった。

 慎ましく、それでいて大切に手入れされているのであろう。白く縁取られた土台には埃一つ付いていない。

 写真の中で笑っている三人の笑顔が彼の心をそっと撫でる。

 大丈夫ですよ、と声が聞こえた気がした。

 柔らかく、優しい声だった。

 

 

 

 

 

 

 

「少し小さいが……まぁ、着れなくもない」

 

 彼は掛け布団の上に被せられていた浴衣を身に纏い、その着心地を確かめていた。

 浴衣が用意されていたのは僥倖であった。

 流石に裸のままでは布団から出る事すら相応の勇気と覚悟が必要となる。

 思い立つと同時に衣類を確保できたのは幸先の良い展開だ。凍えるという心配事が少なからず減少したのだから。

 ゆったりとした足取りで部屋と外界を遮っている扉の前に進む。扉は施錠されてはいないようだ。

 ノブを掴み、手のひらをぐるりと回す。

 音も立てず扉は外側へと開いていった。

 

 外に顔を覗かせると、静まり返った廊下が眼前に現れた。

 どうやら今まで寝ていた部屋はこの家屋の端にあったらしく、道は片方にしか伸びていない。

 これなら迷い様もなかった。いや、人を迷わせる家屋などが存在するのかどうかは甚だ疑問なのだが。

 彼は誰もいない道を歩み出す。道なりに、真っ直ぐと。

 素足に刺さる冷気が空恐ろしい。

 五、六歩進んだところで人の気配を感じた。話し声だ。

 数名の女性が姦しく声を立てている。どことなく楽しそうに。

 一瞬だけ躊躇ったが、やがて彼は気配の元へと足を踏み出した。

 誰かがいる。ならば現状を把握するための情報を手に入れることが出来るかも知れない。

 そのような考えが彼の脳裏をよぎる。

 足取りは、無意識に早まっていった。

 

「ここ、か」

 

 そこは居間、いや、広間なのだろうか。

 声が聞こえてくる部屋を仕切っているのは両開きの障子だった。

 ぴったりと閉じられてはいるも、話し声を遮る役目は果たせてはいない。

 部屋の中で灯されている明かりにより、内部の様子が影絵となって映し出されている。

 中にいるであろう人物達は座っているのではなく、皆が皆立ち上がり何某かを行っているようだった。

 端的に言えば騒がしい。

 悲壮感や陰謀めいた気配はどこにもない。彼は人知れず安堵の息を漏らした。

 少なからず感じていた不安を心の奥底に押し込め、障子の引き手に手をかける。

 

「失礼。聞きたいことがあるのですが……」

 

 彼は声を出すと同時に、障子を横へと開いていった。

 軽く開くだけのつもりであったが、遮りを役目としたその壁はとても滑らかに動いていった。蝋の擦りこみは万全なようだ。

 結果、彼の視界を遮る物は何もなく。

 内部の様子を把握するのに十分すぎる視覚情報が一挙に彼へと押し寄せてきた。

 

 その部屋にいたのは三人の女性だった。

 一人は笑顔を満面に広げた童女。一人は童女に絡まれている少女。一人はその二人を見て笑っている女性。

 彼女らの視線が彼へと向けられる。

 空気が、固まった。

 

 童女はきょとんと呆けた表情を見せている。何が起きたのか理解していないのだろう。

 少女は童女に見せていたのであろう顔、照れ笑いのままで固まっていた。どうやら彼女の脳は判断力を放棄したらしい。

 残る女性は一瞬だけ驚いたようだが、既ににやにやとした笑顔を浮かべている。

 彼女らの周囲……足元には、衣類と思しき布が幾重にも散乱していた。

 着替え。着せ替えっこ。遊び感覚。気の置けない間柄。

 そのような単語の羅列が連想された。

 楽しそうな声。脱ぎ散らかされた衣服。固まった空気。

 そして何より、半裸のままな女性達の姿が……想像した単語の正当性を証明していた。

 

「なんとも堂々とした……。いやいや、これは感心ものだね」

 

 いやらしく笑顔を浮かべていた女性が、その表情通りの意図を含めた言葉を何ら恥じることなく紡ぎ出す。

 咎めるでなく、突発的な出来事を楽しむかのように。

 だが、堂々とした、何だ? その表現は彼の現状についての言葉だ。堂々とした……。

 簡単だ。それは残念なほどに簡単な意味合いだった。

 堂々とした、覗きだ。

 

「え……、あ……」

 

 続いての声は完全に固まっていた少女の口から零された。

 耳に届いた僅かな声が、自然と彼の視線をと少女へ向けさせる。

 理解が追い付いていないのだろう。彼女は彼が障子を開けた時の格好のまま硬直していた。

 足首に蟠っている袴のような衣服は、どこか空を思い描かせる青色だった。この衣服を纏った彼女は、どれほどまでに似合うのだろう。

 やや内股気味に閉じられたしなやかな両脚。年相応に肉付いたその足は、触れると消えてしまいそうで。

 太股の付根から下腹部にかけては、着崩れた巫女服……のようなもので覆われていた。白を基調とし、青く縁取られた独特な形状だった。

 そして上半身、というか胸部にあるのは純白の布だけだ。おそらくはその布をさらしとして使用しているのだろう。

 ──記憶のどこかに浮かぶ、似たような服装の少女。

 目の前の少女は記憶の中の彼女に比べて、やや豊満な両房を持ち得ていた。

 布で締められつつも自己の存在を強調しているその部位には、少女の隣にいる童女の手がかけられている。

 今まさに剥ぎとろうとしているかのように。

 ほんの一瞬でも訪れるのが遅れていたのなら、その場合目の前の光景はどのように変わっていたのだろうか。

 最後に彼の視線は彼女の眼差しと絡み合った。しっかりと観察し終えた少女の瞳と。

 

 同時に、はらり、と。

 童女によって限界まで緩まされていた少女の胸元を遮る最後の一枚が、その役目を終え、ふわり、ふわりと風に舞う。

 この場を支配しているのは無音の世界。

 全員の注目が畳の上に舞い降りた細長い純白の布へと注がれる。

 それはいかなる偶然か。はたまた抗えない必然か。

 自然とその布が本来あった個所へと視界を上げてしまうのは、無意識が為せる事例であり、けして望んでの結果ではないのだが……。

 秘するべき少女の膨らみが、無防備に顔を出してしまったのは現実で。

 

 刹那。少女の瞳に理解の色が射した。今、何が起きたのかを。

 連動して形を変えるのは半開きだった口元。ぽかんとした口は、吐き出すための酸素を取り入れ始め……。

 

「失礼」

 

 さっ、と。

 彼はその場で回れ右。淀みない動作で障子を閉めた。

 後ろ手で閉めた障子の向こうから、なんとも乙女な悲鳴が響いてきたのは、その一瞬後のことだった。

  

 

 

 

 

 

 

「あっはっはっ。なんとも素早い撤退だったじゃないか若者よ。まったく動じていない天晴れな身のこなしだったよ」

「重ね重ね失礼をしました。いや、女性の着替えを何時までも凝視しているわけにもいかないと判断しただけでして」

「それにしては満遍なくあの娘の身体を目に焼き付けていなかったかい?」

「誤解です。あれは状況確認をしていただけの事です」

「へらず口が続くねぇ。じゃあなんだい? 状況確認とやらをしていたくせに謝罪の言葉は口にするのかい?」

「当然でしょう。それはそれ。これはこれです」

 

 無駄に自信満々な彼の物言いに、形ばかりの尋問をしていた女性はからからとした小気味よい笑みを返す。

 女性の名は八坂神奈子。この地、守矢神社に祀られている二柱の神の片割れだという。

 少女の悲鳴が収まった後、ややあってから彼は神奈子に声を掛けられた。もう大丈夫だから入っておいでよ、と。

 言葉に従い障子を開けると、正面に座していた神奈子の姿が目に入った。部屋の中には彼女以外の姿はない。

 

『ああ。あの娘達はお茶を用意しているよ。気にせず座りな若者』

 

 確かに部屋の横手、自分が入ってきた障子とは別の個所からは人が動いている気配を感じる。

 神奈子の言葉通りだとすれば、そこは炊事場にでも繋がっているのだろう。

 彼は自分の為に用意されたであろう畳の上に置かれた座布団の隣に腰を下ろし、両手をついて深々と頭を下げた。

 

『先ずは非礼を詫びさせていただきます。申し訳ない』

 

 そして、神奈子の笑いが場を和ませ始めたのだった。

 同時に続いた彼の口上は、神奈子の興味を引くのに十分な屁理屈でもあった。

 

 

 

「失礼します神奈子様。お茶をお持ちしました」

 

 覗きの件に関する謝罪が幕を閉じ始めた頃、清々しさを伴った声と共に障子が開かれた。

 茶を乗せた盆を脇に控え、頭を垂れている少女は、空の青色だった。

 表を上げ、静々と入ってくる少女。

 その姿は想像通りだった。いや、それ以上だった。

 青と白の巫女服。少女が元来纏っている雰囲気と調和されたその姿は、当初感じた彼女への感想を裏切らない姿形で。

 それでいて実際目の当たりにした現実は、清楚だけではない何かを際立たせていて。

 仄かに色づく少女の頬は、彼女が生きている証しなのか。それとも先ほどの出来事が尾を引いているのか。

 

「なんだい若者? そんなに早苗が気になるのかい?」

「そんな滅相もない。……早苗さん、でしたか?」

「は、はいっ。早苗ですっ。東風谷早苗と申しますっ」

 

 神奈子の元へ、そして彼の元へと茶を置いた早苗は、己の痴態を目撃した青年に声をかけられ、動揺を交えた名乗りを上げる。

 

「本当に失礼を。申し訳ない」

「そ、そんなっ。こちらこそ驚かせてしまってごめんなさいっ」

「いや、こればかりは……」

「じ、事故ですからっ。その、あの……」

 

 再び深く首を垂れた彼。その謝罪の姿に恐縮した早苗も負けじと頭を下げる。

 いや、こちらこそ。いえいえこちらこそ。

 交互に謝り倒し合う男女ひと組。

 

「あんたらねぇ。なに面白いことやってんのさ。いい加減お仕舞にしなって」

 

 それは微笑ましくて、滑稽で。

 神奈子は苦笑交じりに口を挟み、その半端な永久機関を押し止めた。

 不意に動きを止められた二人は、互いに顔を見合せはにかみ合う。

 

「ところで八坂様」

「様って……。まぁ敬ってくれる気持ちは嬉しいし、呼び名はそれでも構わないけど」

「はい、ではその様に。先ほどお見かけしたもうお一人の童女……いえ、女性はどちらに?」

「童女……っ」

 

 彼の疑問の対象者が童女呼ばわりされた事に対し、笑いを抑えきれない神奈子だった。

 童女……あいつが童女、と何度も繰り返しつつ、腹を抱えて声にならない笑いを上げていた。

 

「ええと、もう一人って、その」

 

 既に会話を放棄している神奈子に代わって早苗が彼の疑問に答えようとするも、その口調は少々口籠りがちだった。

 

「あの時、私の服を……その、ええと……。あの方のことですよね……?」

「あ……。ええ、その方です。あの方にも謝罪をしたいのですが、今はどちらに?」

 

 不慮の出来事を思い浮かべたのだろう。早苗は目を伏せたまま言葉を綴った。

 

「あの方は洩矢諏訪子様。神奈子様と一緒にこの地で祀られているお方です」

「……左様ですか。なんとも恐れ多い事をしでかしてしまったようですね」

「いえっ。や、その、わざとではないはずだと諏訪子様も仰っておられましたし、そこまで畏まられなくても」

「そうそう。なんせ見た目は童女だしねぇ……くくっ」

「神奈子様っ。……こほん。諏訪子様への謝罪は結構かと存じます。ご本人も既に境内で遊ばれておりますし……」

 

 どうやら彼女達の中では覗きの一件に関しての手打ちを終えているらしかった。

 神二柱と傍に仕える巫女を覗き倒した不届き者、というなんとしても抗いたい二つ名を冠する羽目にはならないようだ。

 彼は内心で安堵の息を吐いていた。

 同時に彼女達のおおらかな人格を神に感謝する。しかしその神自体が目の前の女性でもある。

 彼の祈りは不必要に空回りを続ける事になるのだろう。

 

「で? そろそろ教えてくれるかい?」

 

 神奈子の瞳に真剣味が帯びてくる。

 

「若者よ、其方は何故にあのような状況に陥ったのだ?」

「……八坂様。仰せの意味が判り兼ねますが」

「あーっ、たく。なんでお前さんはうちの賽銭箱前で倒れてたんだって聞いてるんだよ私は」

「倒れて……?」

 

 会話が噛み合っていない。

 神奈子と早苗の両名に疑念の意が鎌首を擡げ始めた。

 

「ちょっといいかい? お前さん、もしかして憶えていないのかい?」

「……ええ。恥ずかしながら」

「記憶の喪失……でしょうか?」

「決めつけるのは早いよ早苗。単に混乱しているだけなのかもしれない」

 

 胡坐をかいていた神奈子は片膝だけを立て、その上に肘を乗せる。やや前のめりに体重を移動させつつ、言葉を続けた。

 

「何も覚えていないのかい? 名前も、過去も、何故ここにいるのかも」

「……少なくとも己の名前だけは」

 

 確信している、と。

 彼は身を正し、神奈子を正面に捉え、自らが放つ言葉を確認するかのように、ゆっくりと言霊を解き放った。

 

「森近霖之助と申します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 淡い青。深い青。流れる青。絡みつく青。

 青。青。青。青。

 そして、届かない光。

 消えゆく光。遠ざかる光。揺らめく光。

 

 何時しか青は紺になり。

 やがて視界は、暗く、陰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「それが名前以外に思い出せる全部なのかい?」

「ええ。夢のようで、現実のようで。……我が事ながら情けないですが」

 

 霖之助の口からもたらされた説明はその言葉で締めくくられた。

 彼が持ち得ている記憶は己の名前とあやふやな夢。ただそれだけだった。

 一般常識や彼自身が培ってきた個性と呼べる情報は蓄積されたままのようだが、過去の出来事から成る歴史は霞の彼方に淀んでいる。

 どこに住んでいるのか。人間関係は。彼がこの場に来た経緯とは。それらが皆、曖昧模糊としていた。

 率直に言葉を表現した霖之助だったが、見た感じとしては落ち込んでいるようには思えない。

 心の芯が強いのか。単に神経が太いだけなのか。

 一方、親身になって落ち込んでいるのは早苗の方だった。

 

「お医者様に行きましょう森近さん。聞くところによると竹林の奥には怪しくも信頼のおける薬師がいるそうです。人でも妖怪でもどんとこいと評判らしいので行くのなら早い方がいいですね。ご一緒しますのでお着替えを……あ。男性の着替えは……うちには……だったら人里で買ってこなければ、人里? そうです。人里に行けば霖之助さんの事をご存じの方もいらっしゃいますよねっ。でしたら先に、」

「ていや」

「あうっ」

 

 おたおたと居間を動き回っていた早苗を止めたのは、いつの間にか戻ってきていた諏訪子だ。

 ふわりと宙に浮かんだ彼女は、ぺちん、と早苗のおでこを軽く叩いた。わざわざ浮かんだのは、そうしなければ背が届かないからだ。

 酷いです諏訪子様ー、と叩かれた驚きで尻もちをついた早苗を尻目に、諏訪子は霖之助に向き直る。

 

「悪いね青年。えと、りんのすけだっけ?」

「ええ。貴方様は洩矢様ですよね。先ほどは本当にご無礼を、」

「いいっていいって。棚牡丹すけべだったとでも思って心の片隅にでも大事に仕舞っておいてねー」

「大事に仕舞わないでくださいっ」

 

 あっけらかんとした諏訪子の物言いに待ったをかける早苗だったが、当の諏訪子はけらけらと笑うのみだった。

 

「見ての通り生真面目すぎる娘でねー。私があんたを見つけた時も、この娘ったら焦って焦って。それはそれは可愛かったよ?」

「そんな事で可愛いと言われても嬉しくありませんっ」

「……あー。洩矢様。その、僕を見つけた時というのは?」

 

 程よく早苗の対応を流す技術を身につけ始めた霖之助だった。

 自分を見つけた状況とは? その事に興味の大部分が移行したのも事実ではあったのが。

 

「昼すぎかな。ひと雨来てね。これは私の出番でしょ、って母屋から出て行ったんだけど、あ、母屋ってここの事ね」

「ええ。それで?」

「神社の表に顔を出したらびっくり。賽銭箱の前で倒れているあんたを見つけたってわけさ」

「その時既に倒れていたのですか?」

「うん。これはもう一大事だと」

 

 諏訪子は両手を広げて、せわしなく動かして。

 身振り手振りを合わせて一生懸命に自分の記憶を霖之助に伝えようとしていた。

 その幼さ残る仕草に微笑ましさと、真摯に説明してくれている気概に感謝を捧げる霖之助だった。

 

「賽銭泥棒めーって、すかさず両足揃えて踏みつけたね私は」

「ありがとうございました洩矢様。それで八坂様? 抗議に関しては八坂様にお伝えすればよろしいのでしょうか?」

「勘弁してくれよ。あたしは別にこいつの保護者でもなんでもないさね」

 

 じと目で神奈子に問いかける霖之助だったが、対する神奈子は放任主義の推奨者だったようだ。

 しかしながら霖之助の馴染み方も才能の一つなのだろうか。

 神々を敬う姿勢はそのままで、意見は意見としてまったく遠慮をしていない。

 

「でね。反応がなかったあんたをそのまま擦り擦りと引っ張っていって、母屋の前で早苗を呼んだと」

「本当に申し訳ありません森近さん」

「いや、構わないさ。……そうか。雨に打たれたから服を着ていなかったのか。君が脱がしてくれたのかい?」

「はい、その、すみませんでした」

 

 霖之助の服を脱がせた時に見た光景を思い出したのだろうか。再び早苗は頭を下げ出した。

 

「それこそ気にすることはない。その時の僕は意識不明の病人、いや、怪我人だったのだろう? ならば感謝こそすれ叱る理由など無いさ」

「そう言ってもらえると助かります」

「そうそう。もっと感謝すべきだよりんのすけ。なんせ早苗は自分の部屋であんたを介抱したんだからね」

 

 あの部屋はこの娘の部屋だったのか、と。小さな疑問が氷解する。

 目を覚ました場所を思い出し、霖之助は改めて感謝の意を表した。

 聞くところによれば、うなされていた自分を励ましてくれていたのも彼女であるらしかった。

 あの時聞こえた気がした励ましの声。それは気の所為でもなんでもなく、確かな優しさを含んだ現実の声だったのだ。

 

「なんにせよ、だ」

 

 談笑を始めた三人を纏めるべく、神奈子が気持ち大きめの声で場の空気を支配する。

 

「夜も更けてきた。森近、今夜はここに泊まるといい。明日になって色々と思い出せれば御の字さね」

 

 霖之助はその申し出を素直に甘えることにした。

 余りにも迷惑をかけているのは重々に承知の上だったが、事実今の彼は自分が住んでいた家の場所すら思い出せていない。

 この寒空の下で野宿をするのは御免被りたいのも本音ではあった。それでもいずれ記憶が戻れば恩も返すことができるだろう、と。

 その日、霖之助は守矢神社の温かな団欒に交じり、安らかな夜を迎えることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何時しか、その店で働いていた。

 修行……そう、修行していたのだ。

 里にある道具屋、霧雨店で。

 変わらぬ毎日。学びの日々。

 そして出会いと、幸せと……とても哀しい何かを味わった。

 身を引き裂かれるような何かを。

 それでも修行の日々は続いて行った。

 やがて灰色の日々が色づき始める。

 そこに居と店を構えたのだ。紅白と白黒が傍にいたのだ。

 

 そしてなにより。

 紫色の世界が……僕達三人の日々が……。

 

 

 

 

 

 

 

「……香霖堂」

 

 再び訪れた守矢神社での目覚め。今回の夢は、彼にとっての過去録でもあった。

 詳細は分からない。相変わらず霞の膜が事象を覆っている。

  それでも思い出し始めたのだ。大切な何かを。心の奥底に穿たれた記憶を。

 それらの事実が芋蔓式に彼の立場を思い出させたのだった。

 

「……僕は、店を営んでいたんだ。そう、僕だけの店を」

 

 耳に届くのは早朝を告げる鳥の囀り。それと炊事場から流れてくる小気味良い包丁の音。

 ただ、それだけだった。

 

 

 

 

「森近の記憶は喪失ではなく混濁していただけだったんだね。それは何よりだ」

 

 自分を思い出し始めたとの話を受け、神奈子は一安心とばかりに肩の力を抜く。

 居間にて卓袱台を囲んでいる守矢の住人全員が安堵の息を零していた。

 朝餉は焼き魚、卵焼き、香の物に味噌汁といった純和風な品々だ。四人分、誰一人分とも欠けることなく。

 これらを早苗が一人で用意したというのだから、彼女の器量にはほとほと頭が下がる思いだった。

 

「ただ、とても重要な話をしなければなりません」

「……重要?」

 

 味噌汁の椀を両手で掴み、幸せそうな顔をしてその中身を味わっていた諏訪子が、霖之助の言葉を鸚鵡返しに口にした。

 食卓に若干の緊張が走る。

 

「僕の店、香霖堂はどこにあるのでしょうか?」

「「知らないよっ」」

「……ですよね」

 

 神奈子と諏訪子の返答は綺麗なほどに重なっていた。

 彼の店を知っているのなら店主の名前ぐらい耳にしていたはず。

 逆に彼を知らないのであれば彼の店の知識が無い事も仕方がない事だ。

 さて、それではどうしようかと。霖之助は特に切羽詰った様子もなく味噌汁を口にする。

 

「ほう。これは美味い」

 

 自然と頬が緩む。几帳面に出汁をとったのであろう。えぐみのまったくない澄んだ風味が口内に広がった。

 

「ありがとうございます」

 

 料理を褒められた早苗も嬉しそうだった。

 

「そうだろうそうだろう。早苗は私達の大事な大事な奥さんだ。毎日の食卓が楽しみで仕方がないよ」

「神奈子様。私は貴方様を祀る風祝です。奥方の座など畏れ多い席です」

「だから森近。お前さんにはやらないぞ」

「神奈子様っ」

 

 朝からこの家の小劇場は全開だった。

 

「いえ。特に伴侶として所望しているわけでは」

「なんでいらないのよっ! 早苗に不満でもあるのりんのすけはっ!?」

「どうしてそこで諏訪子様がお声を荒げるのですかっ」

「じゃあなんだい? 森近には既に良い人がいるのかい?」

「いいえ八坂様。けしてその様な人物に心当たりは……」

「無いとも言い切れないのだろう? 今のお前さんでは」

 

 そう言われてしまっては答えようもなく。

 だが、本当に自分には愛する人物はいなかったのだろうか。

 売り言葉に釣られ、いないと断言してしまった霖之助だったが、何かが心の奥で蟠っている。

 ……紫色と、幽かな桜の香りが……。

 

「それでも早苗はおいそれと嫁に出す気はしないけどね」

「そうだそうだー。早苗は私達のモノだー」

「モノっ!? もうっ、神奈子様っ、諏訪子様っ!」

 

 結局、朝餉を終えるまでには半刻ほどの時間を有することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神奈子。りんのすけと早苗は?」

「もう里へ行ったよ。距離があるからと早苗が森近の手を引いて飛び立ったんだが、経験の無い男の重みの所為でふらふらだったさ」

 

 本殿へと続く木造の階段。そこに腰を下ろしているのは神奈子だ。片膝を立てたその座り方は、どこかしら男性的でもある。

 傍に置かれた徳利からは僅かに温かな湯気が揺らめいていた。

 手にしている杯へとその徳利を傾けると、燗が澄み切った流水の如く注がれていく。

 そして加奈子は、口切一杯に注がれた酒をぐびりと一口で飲み干した。

 軟い辛味が人肌程度の温もりをもって喉奥へと入り込む。

 

「まったく。『森近さんの面倒は私が』だとさ。責任感が強いというか生真面目というか」

「愚痴かい? それって」

「肴だよ。温燗のね」

「熱燗にすればいいのに」

「温まりたくないんだよ。あの娘を差し置いてね」

「あはは。親馬鹿」

「なにさ馬鹿親」

 

 神奈子に軽口を叩く諏訪子は、からっとした笑顔で本殿の淵に座っていた。

 やや後方に胸を反らし、両手を床につけて自重を支えている。

 足は腰を下ろしている淵際から伸ばされており、当てもなく前後にぷらぷらと揺れていた。

 

「にしても昼間から酒?」

「早苗も夕方まで帰ってこないんだ。好きに飲ませてもらうさ」

「ふーん。……それ、私にも頂戴」

「温(ぬる)いよ?」

「温くてもいいの」

「熱いのが好きなんじゃなかったっけ」

「五月蝿いなぁ。いいのっ。だって、ほらっ」

 

 口を尖らせた諏訪子が指で宙に文字を描く。

 

「お酒は温くても字にしてみればこの通り」

「……温?」

 

 ね? 温かくなるってものよ、と。

 苦笑気味だった顔はどこへやら。満面の笑みを浮かべて諏訪子は言葉を終えた。

 

 昼前になり、早苗は霖之助と共に人里へと出かけて行った。

 部分的にだが段々と記憶を取り戻しつつあった霖之助。彼の希望もあり霧雨店まで足を伸ばそうという話になったのだ。

 随伴を申し出たのは早苗だった。それは生来の性格によるものか。

 でも、それならそれで良い事なのかもね、と。

 早苗の行動予定を聞いた時、神奈子にはちょっとした目論見が浮かんでいた。

 少々我の強そうな面もあるが、人としての物腰、思考内容に問題はない。

 あの男、森近霖之助ならば……早苗にとっての『人間の友の一人』になれるのではないか、と。

 彼の地では人の世でもあった為、早苗にも相応の友人達が存在していた。それに問題は無かったのだ。

 だが、此の地ではそうもいかない。守矢の神社があるここは、神々と妖怪しか住まない人の世ならざる地なのだ。

 確かに今でも友人はいる。麓の巫女に、白黒の魔法使いが。

 人数が大切なのではない。多ければ多いほど、友と分かち合う幸せが待っているというものでもない。

 それでも、二人しかいないのだ。今の早苗にとって、友人と呼べる存在は。

 

「老婆心のお節介でしかないんだけどね。……あまりこっちから世話を焼き過ぎると、却ってあの娘に叱られそうだ」

「神奈子ー? 流石に呑みすぎじゃないそれ?」

「蛇だからいいのよ。ほら、あんたも呑みな」

「蛙は馬鹿みたいな丸呑みなんてしないの」

「酒呑みなだけだって?」

「そうそう。どれだけ呑んでもけろっとしてるってね」

 

 神奈子と諏訪子。二柱の笑い声が境内に広がっていった。

 大人びた四肢を、威厳と自信が讃えるがままに伸ばしている神奈子。

 幼い風貌とは裏腹に、母性と儚さを共存させている諏訪子。

 彼女達は相も変らぬ酒宴を楽しんでいた。

 世界と信仰と、記憶と想いを肴にし、かつての関係と今の立場を混ぜ合わせ、幻想の地で温燗に酔う。

 

「でもさ」

「ん?」

「大丈夫じゃないかな。早苗は」

 

 諏訪子が誰に言うでもなく、空をみつめて詠うように想いを吐露する。

 

「蛙の子は蛙。あの娘も大好きなはずだよ。人も妖怪も、神々やあんたも」

「何言ってんだかこの童女。会話になってやしないじゃないか」

「けろけろ詠ってるだけですよーだ」

 

 つられて神奈子も空を見上げる。先日まで秋空だとばかり思っていた高い空は、いつの間にやら冬の訪れを感じさせていた。

 帰りは凍えてくるだろうね、と。大事な己の風祝を、大事な我らの娘を想う。

 

「諏訪子」

「ん?」

「早苗もってことは、あんたも私が好きなんだ?」

「っ!? 違うわよばーか! あんたなんて敵よ敵っ!」

 

 その日、早苗が神社へ帰ってくるまでのひと時。

 娘馬鹿な二柱は、寒空を舞う早苗を想い、温燗で酌を交わしあっていた。

 文字通り、十分に温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は本当に神風をその身に体現する風祝なのかい? どうも心許ないのだが」

「男の人を連れて飛ぶのは初めてなんですっ。気を乱させないでくださいっ」

「僕の声で気が散るのか。……ふむ。純情というか乙女乙女だとでもいうか」

「重いだけです!」

 

 晩秋の空。

 空を舞う風祝。そしてその手にぶら下がっている物忘れ男。絶えることのない会話が彼らから聞こえている。

 女性の声は、生真面目でいて真っ直ぐで。男性の声は、飄々としていて捻くれていて。

 恰も掛け合い漫才を思わせるような噛み合いっぷりだった。

 

「僕自身、そこまで体重があるとは思わないが」

「それでも私一人で飛ぶことに比べて勝手が違うんです」

「もしくは君自身、知らず知らずのうちに成長しているのでは?」

「成長ですか? 意味がわかりません。能力が成長したのでしたらより楽に飛べると思うのですが」

「いや、この場合の成長とは身体的な意味だよ。即ち体重が増加して、」

「手を離しますよ?」

「勘弁してくれ。今手を離されては落下してしまう。僕一人では抗う事も出来ずにお陀仏じゃないか」

 

 何を言っているんだ君は、と霖之助はにべもなくのたまう。

 少しでも女性への配慮を持ち得ているのならば、さきほどの言葉が与えた意味を感じ取れるものだが。

 ……記憶と人格にはどのような関係があるのであろう。

 記憶が混濁していた先日は、霖之助の口調も当たり障りのないものであった。

 しかし多少ながら過去を取り戻し始めた現在の彼は、慇懃無礼というべきか他者への配慮を気にしていないというべきか。

 なんにせよ、時が経つにつれて霖之助本来の人物像が顔を見せ始めていることは確かだった。

 

「……はぁ。森近さんってこういう方だったんですね」

「こういう? それはどういう?」

「そーゆー方ってことですっ」

「君がどうして怒っているのか見当もつかないんだが」

「結構です。もうそういう方なんだって諦めましたから」

「そんなにしかめ面をするものではないよ。綺麗な顔が台無しじゃないか」

「きっ!? 綺麗って、突然何をっ」

「それと忠告ついでだ。服の裾から肌と肌着が見え隠れしているのだが、それは年頃の娘としてどうかと思、」

「っ! 見上げないでくださいっ!」

 

 霖之助の言葉が終る前に振りほどかれた手。

 恥じらいの心が全面に表れた早苗の行動は、咄嗟に彼を投げ出してしまうことだった。

 ──本当に勘弁してくれ──

 遠ざかっていく霖之助の声は、慌てているというよりも、無駄に達観しているような趣であった。

 

 

 

 

 

「守矢神社の風祝さんは危なっかしくて仕方がない」

「誰の所為だと思っているんですか誰のっ。それにちゃんと助けたじゃないですか」

「一度自分で空中に放り投げておいて再度空中で相手を確保、ね。君が目指すのは大道芸なのかい?」

「もう一度体験されますか? 今度はリリースアンドキャッチではなくリリースのみで」

「言うまでもなく丁重に断らせてもらおう。……見えてきたか」

 

 空中自由落下を体験した後、彼らは里への道を歩いてきた。人の手が施された道を。

 道の周囲には収穫の済んだ畑が広がっており、視界に入ってきた里の入り口からは人々の喧噪も聞こえてきている。

 幻想郷において人間が安全に暮らしていける場所、人里。

 霖之助達は軽く頷き合った後、その地へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分とおおらかな方でしたね。霧雨店のご主人さんは」

「ああ。あの人は昔からああなんだよ。瑣末事だと判断したのなら気楽に構える人だった」

「思い出したんですか?」

「いや、そんな気がしただけさ」

 

 彼らが最初に向かったのは道具屋である霧雨店だった。

 微かに思い出していた『自分はかつて霧雨店で修業していた』という事柄から情報収集の要であると踏んだのだが。

 顔を合わせた霧雨店の主人は事情を聞いて大笑いした後、香霖堂の場所を教えてくれただけであった。

 自分の店に戻れば勝手に体が思い出すだろう、と。

 

「森近さんのお店を教えてもらえたのはいいのですけれど……」

「何か問題でも?」

「あの方は森近さんの事を心配されていらっしゃらないのでしょうか」

 

 霧雨店を後にして里の中を歩いていると、早苗は不満そうな顔と共にそんな事を言い出していた。

 大笑いされただけでなく、霧雨店で出会った人々全員が霖之助の状況を真摯に受け止めていなかったからだ。

 曰く、またおかしな事に巻き込まれて。曰く、お前も相変わらずだな。曰く……。

 

「幻想郷の人達は適当過ぎます。もっと危機感をですね……」

「そんなものさ。この地の人々は」

「ですがっ」

「それに相手が僕だったから、なのかもしれないじゃないか」

 

 それだけ信頼されているのだと。霖之助ならば本当の意味で危ういことにはならないのだと。

 

「そういうものなのでしょうかね」

「君だって里には顔を出しているのだろう? そうは思わないのかい?」

「里に来ていると言っても、信仰の布教、食料品や日常品の買出しぐらいしか来ていませんし」

 

 まだまだ此の地に来てからの日は浅い。

 幻想郷に馴染むには、ある意味独特の空気とも言える雰囲気を理解しなければならないのかもしれない。

 どのようなことでも真正面から受け取ってしまう早苗はそのような事を考えていた。

 

「もっと彼の地とは別物の思考を……例えるなら常識にとらわれないような奔放さを……」

「……何をぶつぶつと。そろそろ僕の店へと連れて行ってもらえるとありがたいのだが」

 

 わかっています。

 早苗が答えようとしたその時だった。

 

「あれ? 霖之助さんですか?」

 

 背後から転がる鈴のような声を掛けられたのは。

 振り返った彼らの視界にいたのは早苗よりも顔一つ分小さな女性だ。

 薄色ながら鮮やかな着物を身に纏い、軽い驚きの顔を見せている少女。

 その少女は視線を霖之助から隣にいる早苗へと移し、もう一度霖之助へと戻した。

 

「へぇ。逢引き、ですか」

 

 花をあしらった髪飾りは、その少女そのものを表現しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 紫の花が舞っていた。それはとても幸せな日々だった。

 紫の花が凪いでいた。それはとても哀しい刻だった。

 紫の花が世界を覆った。だから僕は歩き出せたんだ。

  

 

 

 

 

 

「君は、」

 

 少女の姿を目にした時、霖之助の脳裏にはとある名前が浮かび上がった。

 その名前はとても大切な名前で。とても哀しい名前で。

 

「ええ、阿求ですよ。あなたの未来の良い人、稗田阿求です」

「ということは婚約者さんですか? ……森近さん。あなたはこんなに若い娘さんを籠絡されるような方だったんですね」

「む。そういうあなたはどこのどなたなのですか? ……無駄に一部だけ育っていらっしゃるようですがふしだら妖怪かなにかですか?」

「ふしだら!? 私は風祝です! そういうお嬢さん、あなたのおうちはどこですか?」

「ふ、ふふふふふ」

「うふ、うふふふふ」

 

 何事だ。それが霖之助にとっての率直な感想だった。

 霖之助を挟んだ少女二人による仄かに黒い挨拶の応酬。互いに満面の笑顔だというのがそれはそれで怖い。

 この二人は初顔合わせであった為、そのままお互いに簡単な自己紹介を始めていた。

 それにしても阿求という名。その名には聞き覚えがあった。霖之助の心の深淵で埋まっていた名であった。

 だが彼女を見た時、最初に思い浮かんだ名前は阿求ではなく……、そう、浮かんだその名は……。

 

「で? 霖之助さん。自称新参神社の風なんとかさんを連れてなにやってるんですか?」

「風祝ですっ。説明したばかりじゃないですか。今のは絶対にわざとですよね『ひだえの』さん」

「『ひえだの』ですよ『稗田』。なんですか『ひだえの』って。主な特技はうっかりですかあなたは」

「……いや。彼女に里を案内してもらっていてね」

 

 霧雨の店を出てきたばかりだよと説明するも、阿求の顔には理解の色が見えてこない。

 それもその筈だ。根本的に話がおかしい。

 

「霖之助さんが案内してもらって、ですか? 逆ではなく?」

「間違いないさ。この後は香霖堂へ連れて行ってもらう予定だよ」

「はぁ。それまた妙な話で。確かに頭が軽くてふわふわ飛べるのなら便利な巫女さんであるのかもしれませんが」

「……あたまがかるくて、ですか」

「言葉の綾です。それにしてもつい先々日は河童に会いに行くだの言ってましたのに、そちらは終えたのですか?」

「河童?」

「別にいいですけどねー。霖之助さんが何処で何方とよろしくされていても文句を言う筋合いはないですしねー」

「いや、ちょっとその話を詳しく、」

「他の女性とよろしくされている話なんて詳しく聞きたいとは思いませんので悪しからず。では」

 

 きっぱりと言い切り、阿求は身を翻して雑踏の波に消えていく。

 阿求を呼びとめようとした手を伸ばしたまま霖之助は固まってしまっていた。

 自分の事を確実に知っていたであろう人物、更には直近の行動をも知っていたのであろう人物。

 とても重要な相手であったことは確かだったのだが、言い訳? 知りません。と語っていた彼女の背中に掛ける言葉はどこにもなかった。

 自分はなにかやらかしてしまったのではないか。不鮮明な状況ではあったが、それでもそのぐらいの判断は出来た霖之助だった。

 

「河童、ですか……」

 

 苦虫を噛み潰した顔をしている霖之助の隣では、早苗が片手を頬に当てて、んーと唸っている。

 

「河童というと河城のにとりさんなら知っているのですが……」

「河城……にとり?」

 

 河城にとり。妖怪の山に棲む河の妖怪だ。人間好きだが人見知りであるという特徴を色濃く持つ河童の一人である。

 一般的な人間の前には姿を見せることすらないのだが、早苗に至っては守矢神社で度々行われている酒宴において面識があった。

 早苗が感じたにとりとは、少女然とした姿に似つかわしくない職人気質なエンジニア。

 河童社会、如いては妖怪の山全体の技術力を向上させうる才能を持つ、道具弄りを本懐とする可愛らしい少女だ。

 そんな彼女に会えば何某かの情報を得られるのでは、と思い至ったのだが、続いてもたらされた霖之助の言葉が状況を急転させた。

 

「……河城にとり。間違いない、僕は彼女に会う約束があったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、お店なんですか? 本当に? ごみ置き場ではなくて?」

「……君も大分歯に衣着せないようになってきたものだね。ここは正真正銘僕の店、香霖堂だよ」

 

 早苗の狼狽も当然だった。

 香霖堂を眼前にした早苗は、店……らしい建物を引きつった笑顔で見渡す。

 結論。何がしたいのだろうかこの建物は?

 建物自体は……無国籍だ。和風なのか単に東洋風なのかも定かではない。そして壁面に絡まる蔦は駆除しないのだろうか?

 店ということだが……そもそも事実なのだろうか? 確かに看板、と判断出来なくもない物はある。しかし取扱い品目が不明すぎる。

 そして外観だ。あの無秩序な山はなんだ? 巨大な狸の置物。突き立っている道路標識。初めて直に見る桃色の公衆電話。

 無意識に踏鞴を踏む早苗だった。

 

「ああ、空気が染み込んでくるようだ。うん、そうだ。ここは確かに僕のいるべき場所だ」

 

 対して霖之助は笑顔を浮かべている。

 この数時間の間で霖之助はほぼ全ての記憶を取り戻していた。

 特に霧雨の親父さんに会った事、阿求と会った事、にとりに会う約束を思い出した事。そして香霖堂へと戻った事。

 それらの出来事が発端であった。

 己のいるべき場所。人との繋がり。彼の日常。その全てが彼の中で整理され、確かな過去として実感出来たのだ。

 後は今回の騒動の原因が、何故自分は記憶を失うような事態になったのかだけが謎であった。

 だが、それももうすぐ判明するであろう。

 

「僕は昨日、身支度を整えて山に向かったんだ。河城にとりと会う為に」

「にとりさんと、ですか?」

「ああ。僕の生業は外の世界の道具の販売。そして個人的な能力は、道具の名前と用途が判る程度の能力だ」

 

 彼はその力を利用して彼にしか出来ない商売を行っていたのだった。

 そんな折、とある魔法使いが仲立ちとなり、にとりを霖之助へと紹介してきたのだ。

 その魔法使いが言うには、最近知り合った河童が霖之助の助力を借りたいと言ってきたと。

 なんでもその河童と談笑していた際、たまたま霖之助の能力を口にしたところ、是非とも会ってみたいと言い出してきたのだと。

 香霖が他人から必要とされるなんて一大事だぜ。

 あははと笑っていた魔法使いは、にとりと会う時間、場所だけを霖之助に伝え、後は文字通り飛んで行ってしまったのだが。

 

「それが一昨日の夜。そして山に向かったのが昨日の朝、ということですか」

「僕も前々から河童の技術力には興味があったからね。翌朝、即ち昨日の早朝にこの店を出て、一人待ち合わせ場所へと向かったんだ」

「その場所とは?」

「妖怪の山。君の神社がある山の中腹、河童が棲まう谷河だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 知らず邂逅を楽しみにしていたのかもしれない。

 初めて出会う河童の技術力との邂逅に。

 だからだろうか。

 紅葉散り終えた木々を抜けた先。

 待ち合わせ場所だと伝えられた岩場へと、少しだけ早めに到着してしまったのは。

 その場で見た光景は、一人の、少女の……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 一言だけ。霖之助は確かな意味を込めた言葉を口にした。

 香霖堂を後にした二人は三度目の空を舞った。神社から里へ、里から香霖堂へ、そして香霖堂から谷河へと。

 空中から見下ろした地形は、徒歩の記憶しかない霖之助にとって道標とはなり得なかったが、それを補助したのは早苗であった。

 場所のイメージを聞いた早苗には思い当たる場所があったのだ。

 そこは、以前一度だけにとりに案内された彼女お気に入りの場所。多少入り組んだ場所にある、にとりの特別な岩場だった。

 

「森近さん、にとりさんに会ったことは思い出せましたか?」

「いや、確かにここなんだが……ここに来たのは確かなんだが」

「ここに来て、そして?」

「……ここに着いて、何かを見て……いや、聞いて……? そして一面に青が広がって……」

 

 最後の欠片が見つからない。ここでなにがあったのか、が。

 あと一歩なのに。

 それが早苗にはもどかしく、どことなく悔しくて。

 やぶれかぶれな想いと共に、早苗の口から大声が解き放たれた。

 

「もうっ! にとりさーんっ! いらっしゃいませんかーっ!?」

 

 それは自棄でもあった。

 この場にいない重要人物、河城にとり。その彼女を呼びつける為だけの叫びであったのだから。

 だが。

 

「ひゅいっ!?」

「きゃっ!?」

 

 思いがけず返事が返ってきた。それも早苗のすぐ隣から。

 驚いたのは早苗だ。なにぶん返事があった場所には誰もいないのだから。

 それでも確かに聞こえた。不意に呼ばれて零れてしまったかのような動揺の声が。

 

「に、にとり、さん……ですか?」

「……」

 

 僅かな、間。

 やがてたどたどしくも言葉が紡がれていった。

 

「や、やぁ守矢の。こんなところで奇遇だねぇ」

「にとりさんですよね? どちらにいらっしゃるのですか?」

「あー。うん。お前さんのすぐ隣なんだけどね」

「隣?」

 

 早苗の問いに答えるかのように、目の前の景色がぼんやりと歪みだした。

 そして低く、鈍い音。

 ややあって、

 

「光学迷彩、だったり……あはは……」

 

 左右二房に髪を分けた少女、河城にとりが姿を現した。

 己の発明品によって姿を隠していたのだろう。

 勿論早苗にしてみれば詳細など理解出来ていないのだが、にとりに会えた事は確実だった。

 そのにとりは早苗を前にしつつも、ちらちらともう一人の姿に視線を泳がせている。

 まるでその人物、霖之助に会いたくなかったかのような、でも会わなければいけないかのような。

 そんな挙動でもあった。

 

「にとり、さん?」

「なんでもないなんでもないよ? うん、なんでもあるわけがないさね」

 

 そして、にとりと霖之助の視線が絡み合った。

 瞬時に頬を紅潮させてしまうにとり。あまりにも瞬間沸騰な赤ら顔だった。

 それは人見知りだと言う段階等ではなく、あからさまなまでに霖之助を男性と認識している表情で。

 不意に、ずきん、と。

 にとりの変貌を目の当たりにした早苗の胸に、未体験の感触が穿たれた。

 その意味さえ知る由もない、小さな痛みが。

 

「河城、にとり……さん?」

「な、なんだい森近? や、はじめましてだね森近」

 

 はじめましてだと口にしているにも関わらず、この男が霖之助であると理解している。

 早苗と霖之助の会話を聞いていたのだろうか。それとも、はじめましてという言葉が偽りなのか。

 今すぐ問いただしたかった。何があったのか、何をしたのか。

 そのような問いを早苗が口に出そうとしたその瞬間、

 

「思い出した……っ」

「っ!?」

 

 霖之助から最後の欠片がもたらされた。

 

「あの時僕は君の、」

「言うなぁーっ!」

 

 ばちーん、と。盛大な音が辺りに響いた。

 

「えええっ!?」

 

 霖之助の言葉を遮ったのは、真っ赤な真っ赤な一枚の紅葉。

 彼の頬をはたいた、にとりの平手な一撃であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩場に辿り着くと、そこには一人の少女がいた。

 目と目が合う。

 これは挨拶をするべきなのか。それとも謝罪をするべきなのか。

 瞬間的に脳内で判断を下そうとする。

 だが、彼女の反応の方が早かった。

 半裸であった少女は、肌蹴た胸元を隠すこともなく。

 彼に両手をに差し向けて、半泣きの叫び声を上げたのだ。

 

 

 ポロロッカーっ! と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うあはははははっ! なんだい? 結局のところそれが騒動のオチだったってわけかいっ?」

「りんのすけってば棚牡丹すけべで始まって棚牡丹すけべで終わったんだー」

「これだから男の方は……。聞いてますか神奈子様、諏訪子様っ!」

 

 夜の帳が降りた守矢神社。その母屋にある居間で、彼女達は思い思いの表情を浮かべていた。

 神奈子は爆笑を。諏訪子は悪戯顔を。そして早苗は怒り顔、のような呆れ顔、のような複雑な顔を。

 谷河での一件の後、霖之助を香霖堂まで送り届けた早苗は守矢神社へと帰ってきていた。

 神社に到着した際、何事かと思える量の酒瓶が開けられていたのを目撃した早苗の小言があったのだが、それはそれとして。

 先ほどから早苗は、先日から続いた騒動の詳細を二柱の神に報告していたのだ。

 報告と言ってもその半分は愚痴のようなものであったのだが。

 

 事の発端はにとりだった。

 霖之助が訪れる前、自らが来ている一張羅の服にほつれを見つけたにとりは、まだ時間も大丈夫だろうと繕いを行っていたのだった。

 お気に入りの場所なだけに気が緩んでいたのだろう。繕う為に服を脱いでしまっていたのだから。

 その折、予想外の早さで霖之助が現場に到着。驚く霖之助。焦るにとり。

 人見知り足す事の、異性に痴態を見られてしまった動揺足す事の、秘めたる乙女判断。

 結果は彼女が有するスペルカード、水符「河童のポロロッカ」発動。

 押し寄せる水の波と解き放たれた妖力。霖之助を巻き込んだ力は、河の中へと流れ込んでいったのだ。

 山の寒気に対処するべく厚着であった霖之助は、そのまま河底深くへと沈んでいった。

 先日彼が述べていた青い夢は、正しくこの時のイメージだったのだろう。

 我に返ったにとりは慌てて霖之助を引き上げるも、当の霖之助は意識を失っていた。

 介抱しなければと思い立ったにとりだったが、医学の知識を持っている筈もなく。

 藁にもすがる思いで訪れたのが守矢の神社であった、という訳だ。

 

「ごめんなさい、と。にとりさんは森近さんに対して素直に謝っていらっしゃいました」

「謝ることはないよー。棚牡丹とはいえすけべはすけべだったんだからー」

「早苗に言っても仕方ないだろうに。でもなんで河城のにとりは森近を置いていなくなってたのさ?」

 

 神社に霖之助を連れてきたにとりは、近づいてくる諏訪子の鼻歌を耳にした瞬間、怖くなってしまったのだという。

 そう。人に害を与えたとして、神に咎められるのではないか、と。

 勿論そんなことはなかったのだが、前後不覚になるほど焦っていたにとりは、諏訪子が来る直前に姿を隠す道具を使用してしまったのだった。

 霖之助を運んで行く諏訪子にその後の事を任せてしまい、引くに引けなくなってしまったにとり。

 己の行動に対して後悔しつつ、彼女は神社を後にした。後日、ほとぼりが冷めた頃、謝罪と感謝を告げようと心に決めて。

 彼の記憶が混乱してしまっている事など思いもよらずに。

 

「でもって翌日にはその男が自分のテリトリーに再びやってきて、例の件を口にしようとしたから」

「びったーん、と一発、ね。女心は秋の空って言うけど、オチには繋がらないね」

「馬鹿諏訪子。恋心だろそれは、関係ないさね」

 

 神奈子の零した単語、恋心に反応したのか。早苗は再び霖之助の悪口を言い始めた。

 それを聞く神奈子は、ただただ笑みを浮かべている。

 神奈子には分かっているのだろう。早苗の心を乱しているのは恋などではないということを。

 此の地に来てからというもの暫く耳にしていなかった早苗本来の口調。そして彼女らしい物言い。

 それは神奈子が望んでいた早苗本来の姿であった。

 引き出してくれたのは、良い意味で取り繕う価値の無い男、森近霖之助。

 何時かは恋になるのかもしれない。人の心の変化はそれこそ秋の空なのだ。

 だが今現在の早苗にとっての霖之助は、飾らない付き合いのできる男友達なのだ。

 神である自身ではけして成りえる事の出来ない、早苗にとって対等な立場の友人なのであった。

 

「ところで早苗、聞いたところじゃ森近の店には彼の地の道具があるんだって?」

「はい。使える物からつっこみたくて仕方のない物まで千差万別でしたが」

 

 後は老婆心の一言で終わりにしようか。

 にやりと口元を上げた神奈子は、早苗へと今後の生活における指針を述べたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃ……。また君か」

「来客に対して溜息とは人としてどうかと思いますね」

「構わないさ。僕は半妖だ。問題ない」

「どーでもいいですそんな事。それで? 頼んでおいたホットカーペットは入荷しましたか?」

「……来る度に君の口調は砕けてきているね。いや、砕けると言うよりも慇懃無礼だとでも言うべきか」

「その言葉、熨斗を付けてお返ししますね森近さん」

 

 香霖堂。

 それは幻想郷で唯一の、外の世界から流れ着いた道具を取り扱う道具屋だ。

 此の地に住む人間の間では変わり者と称される彼、森近霖之助が経営している一風変わった僻地の店舗。

 最近、この店に新しい常連が出来た。

 その常連とは、少し前まで幻想郷の外で暮らしていたという、とある神社の一家だった。

 幻想郷では手に入りにくい外の世界の品々を手に入れる事が出来る為、客としても香霖堂は重宝しているようだった。

 結果、暇を見つけては、その一家の少女やら童女やらが香霖堂へと訪れているらしい。

 往訪時の殆どが他愛もない雑談で終えている事。

 それだけが店主にとって悩みの種らしいのだが、元より閑古鳥の鳴いていた香霖堂に変わりがあるわけでもなく。

 今日もこの店にはいつもどおりの時間が流れていたのだった。

 

「もう冬ですしね。ホットカーペットが欲しいんです。いい加減入荷してください」

「そのほっとかーぺっと、というのは暖房器具かなにかなのかい?」

「私の部屋、何気に寒いですし」

「……会話をしてくれ」

「そうそう、先日神奈子様と諏訪子様が仰っておられましたが、河童の産業革命と名付けられた……」

 

 店内の窓から外を覗くと、はらはらと粉雪が舞い始めていた。

 冬将軍も本格的に到来してきたのだろう。冬舞う白色をぼんやりと眺めながら、霖之助はそんなことを思っていた。

 

「聞いていますか森近さん? なんと地底には廃棄された灼熱地獄があるとのことで……」

「……やれやれ。ここは君の暇潰しの場ではないのだけれどね」

 

 霖之助の呟きは、早苗の世間話に埋もれていくのみであった。

 

 

 

 

 

 

 その日は、後に訪れてくる押しかけ女房、妹のような紅白、懐いている白黒という三人の少女を加え、姦しい夕餉を迎えることになる。

 

 だが、それもまたいつもの事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隙間

 

 というのが今回の騒動の顛末よ。納得は出来たのかしら? 阿求。

 なによぷんすかして。隙間から話を覗くのも大変なんだから感謝してもらいたいわ。

 それは私の趣味でしょうに、ですって? 勿論よ。何を今更。

 香霖堂に入り浸ってって……それは客としてなのだから別に……。

 ……ふぅん。それは嫉妬ね、嫉妬。

 霖之助に近づくあの娘に対して……いえ、違うわね。

 不思議と気の合う人を、自分よりも先に仲良くなった霖之助に対しての嫉妬、かしら?

 ホント可愛いわね貴女は。

 

 あら? どうしたのかしら。急に求聞史紀を取り出したりして。

 守矢の頁を書き足すのかしら? それは今じゃなくても……。

 どうして私の頁を開いているのかしら。どうして手に筆を持っているのかしら。

 っ!? ちょっと! 何私の紹介で『危険度』を『極低』に変えているのよっ!

 そこいらの妖精並みじゃないのそれ! どんな嫌がらせよ!

 阿求! 阿求っ!

 

 

  

 



 

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